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11月14日

評論「デザインのデザイン」(原研哉)

企業のロゴのデザインや展覧会の企画など
デザインにいろんな方面から
関わっている著者による評論。
筆者はまず、アートとデザインの
間にある一つの相違を挙げる。
アートは個人的な意思表明であって、
その発生の根源はとても個的なものだ。
一方、デザインはその発端が社会の側にある。
社会の多くの人々と共有できる問題を発見し、
それを解決していくプロセスにデザインの本質がある。
作者がここで述べたデザインの概念は
おそらく広くそう認識されているものだろう。
今まで言葉としてデザインを認識したことが
なかった私だが、この概念はとても共感できた。
つまり、デザイナーが狙った「使いやすさ」などが
消費者など使う者に伝わらなければ
そのデザインはきちんと機能していないということだ。
現在ではデザインへの人々の関心が高く、
新しいデザインが世に出ればそのデザイナーも注目される。
自分の名前が世に浸透していっても
独善的ではないデザインを伝えられるか。
これは非常に重要なことだと思う。
そしてもう一つ、著者の重要な指摘をしている。
日本の戦後の産業デザインの多くは、
「今日あるものを明日古く見せる」という
企業の戦略の中で生まれてきたという点だ。
企業の論理の中に組み込まれてしまうと、
そのデザインが低いコストで大量生産が可能かという
生産性がデザインに強く求められることとなる。
これは、作り手は非常に手間だが、
使い手には非常に便利だという方向性を
デザインが持ちづらくしてしまう。
新しい文化は古い文化から生まれる。
ある方向性ばかり強く進み、
ある方向性は弱いという文化は、
その文化全体の広がりはバランスに欠けることに
なるのではないだろうか。
これは産業デザインの話だけではない。
例えば数社の寡占状態にある世界のメディアは
果たして言論の自由を行使できているのか。
産業界に対してきちんと批評を持ち続けているのか。
デザインと産業界の話について興味がある私は、
本著第五章の「欲望のエデュケーション」は面白かった。
ここでは企業が商品を企画開発する際に
その企業の出身国における商品の民度について書かれている。
高級車市場で日本車がドイツ車に負けてしまうことと
高級車に対する日本人の民度が例として挙げられている。
そこで著者は日本人の美意識を
育てていく必要性について説く。
そのことについて具体例が書いてないのが残念だが、
著者はエデュケーショナルな
デザインを生み出していくことに意欲を見せている。
著者が本著で度々語っているのは
視覚以外を刺激するデザインだ。
例として出しているのは無印良品の壁掛けCDプレーヤー。
スイッチの紐を引くことで換気扇が想起される感覚。
そういった視覚以外の感覚に
訴える重要性を著者は説いている。
読み終えた後、デザインに対する意識が
きっと高まるだろう。そんな一冊である。



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