1月25日

映画「ラブストーリー」

恋愛に偶然は付き物で
偶然を描こうという意図はわかるんだけど、
偶然がラストまでいろいろ重なりちょっとしつこい。
婚約者の親友を好きになった母親ジュヒの過去と、
親友と同じ人を好きになった主人公ジヘの境遇。
この2点の偶然の一致。私にはこれで充分。
ラストは主人公のハッピーエンドだが、
私は平行して進むジュヒの叶わなかった恋のほうが
印象に残っている。
国会議員の娘に生まれ
親に婚約者を決められてしまう環境の中、
ジュナを好きになっていく過程がよく描かれていて、
自分が誰かを好きになったときに抱く感情を
この映画を観ていると思い出す。
ジュナがベトナムへ出征し
叶わぬ恋でありながら帰還まで結婚せずにいる
ジュヒのけなげさからは、
恋心の尊さが伝わってくる。
韓国の恋愛映画の良さは
登場人物がまっすぐなところだと私は思う。
この映画も愛の告白があってハッピーエンド。
好きな人に言葉で好きと伝えるすばらしさって
わかってはいるけど照れてなかなかできない私は
韓国映画って見ていて気持ちが解放される。

1月18日

新書「ケータイを持ったサル」(正高信男)

サルのスキンシップや会話などコミュニケーションを
研究してきた比較行動学者によるケータイ世代観察。
『若者はなぜ「決められない」か』、
「パラサイト・シングルの時代」を読んだ私には
興味深い記述が多数。
「ソシュール入門」を読んだ人にもお薦め。
ソシュールの研究はその対象が文書など、
言語の公的な側面が中心だが、
言葉が公的な場で私的になっていると
筆者が指摘した現代の言葉の乱れは
「ソシュール入門」を読んでいても
意識しづらいラングの変化だ。
本著でのケータイ世代の考察で
私が興味を持ったのは2つ。
一つはリスザルのチャックコール、
ニホンザルのクーコールと
ケータイメールのやり取りの対比。
リスザルは群れの中の一頭が「チャック」と鳴いたとき
仲間は一定時間内に「チャック」と鳴いて応答する。
ニホンザルは仲間が自分の視界から離れたときに
「クー」と鳴きお互いの位置を確認する。
リスザルもニホンザルもメッセージには
意味が含まれていない。
なるほど。
「今何してる?」と交わすメールのやり取りが
本当に相手が何をしているかを
訊く必要が無いことと確かに似ている。
人口の増加、移動手段の発達で
鳴き声を確認できるような小さな集団から
飛び越えた生活をしてきた人間たちが
通信手段の発達によって私達は
サル的なコミュニケーションを繰り返してるとなると
これは本当に発達と言えるだろうかという気がしてくる。
もう一つは敵を発見したときのサル同士の警戒音。
サル同士が血縁関係にある場合を除いて、
他のサルの近くに敵がいることをあるサルが発見しても、
サルは他のサルに警戒音を出すことはない。
それは相手に警戒音を出すことによって
自分が敵に襲われるリスクが生じるからだ。
しかし、常に警戒音を出し合う関係は
常に自分だけ黙って逃げる関係よりも
長い目で見れば襲われるリスクが少ない。
それなのにサルは自分が警戒音を出せば
相手も何かあったときに警戒音を
出してくれるだろうとは信頼できない。
このようなサル同士の関係を踏まえ、
ケータイ世代の関係の仕方を調べるために
筆者は次のような実験を行った。
お互いに面識のない女子高生たちが2人ペアを組み
各人に5000円ずつ渡して行う投資ゲームだ。
この2人ペアはケータイのヘビーユーザーたち同士と
ケータイを所有していないもの同士に分けられている。
ゲームの内容は5000円を相手に手渡すと、
受け取った相手はそこに
5000円プラスされ10000円を受け取る。
このゲームのポイントは、
先に投資する第一プレイヤー(1P)と
後で投資する第二プレイヤー(2P)に分かれ
第二プレイヤーが投資するかどうかは
第一プレイヤーが投資した後に
決めることが出来る点だ。
ゲームの結果は4つに分かれる。
1P・\0、2P・\15000。(a)
1P・\10000、2P・\10000。(b)
1P・\15000、2P・\0。(c)
1P・\5000、2P・\5000。(d)
(a)は1Pが投資をしたが2Pは投資をしなかったケース。
(b)は1Pの投資を受け2Pも投資したケース。
(c)は1Pは投資しなかったが2Pは投資したケース。
(d)はお互いに投資しなかったケース。
実験の結果、ケータイのヘビーユーザー同士は
ケータイを所有していないもの同士よりも
(a)、(d)の結果が多かった。
彼女たちが社会に出たとき、
それまでに先人たちが築いてきた約束事って
どうなってしまうんだろう。
若い世代がケータイに夢中になっているそのこと自体が
誰かに迷惑をかけることはなくても
そういった若い世代を危惧することは
正しいのではないかと、本著を読んで思った。

1月12日

小説「ブルーもしくはブルー」(山本文緒)

主人公は2人の蒼子。
蒼子Aは、広告代理店勤務の夫を持ち
東京で暮らす佐々木蒼子。
蒼子Bは、佐々木と知り合う前に付き合っていた
恋人と結婚し、福岡で暮らす河見蒼子。
蒼子Bは、蒼子Aが結婚相手を
佐々木か河見か悩んだ際に生まれた
ドッペルゲンガーだった。
蒼子Aには、河見から確かな愛を受け、
規則正しい生活を送る蒼子Bが羨ましくて
蒼子Bには干渉しない夫の下、
自由に金銭的にも恵まれた生活を送る
蒼子Bが羨ましく思える。
2人の蒼子はお互いの生活を交換する。
しかし、酔った河見の暴力に耐えられずに
蒼子Aは東京に戻ってきてしまう。
蒼子Bも河見の下に戻ることを拒み、
河見を押し付けるべく、
2人の蒼子の間で駆け引きが始まる。
自己中心的な女って恐い!
気を失ってる相手の鞄の中に
福岡のレンタルビデオ屋の会員証を忍ばせ
雨の中、公園の東屋のベンチに置き去りにして
「女性が倒れている」と救急車を呼ぶシーンは
まさに女の嫌な部分の描写が巧みな
山本文緒ならでは。



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