11月28日

新書「パラサイト・シングルの時代」(山田昌弘)

最近、「独り暮らししないの?」と
上司に言われるようになり、
独り暮らしの実行について
少し現実的に考えるようになった。
働きだして2年目になり余裕も出てきて、
家賃、食費といった家計費がかからず
家事労働の負担も少ないこの生活に
いつまでも甘えていていいのだろうかと
思うようになってきた。
これは生活力が身に付かないことへの不安である。
本書を読んで考えさせられたのは、
社会人として社会に還元していくことについてだ。
住宅取得は右下がりで、ルイ・ヴィトンやエルメスは
売り上げを伸ばしている現在の経済というのは
これまでの社会が前提としてきたものと異なる。
著者が本書で述べているのも、
日本が豊かな生活を送っていくためのあり方である。
パラサイト・シングルを減らしていくのは
そのための手段だ。
パラサイト・シングル向けの新しいビジネスが
これから先、もっと出てくることだろう。
サービス業の行き詰まりを打破するトピックと
なる可能性を秘めているかもしれない。
ただ、日本全体を考えると、
それによって衰退する産業の方が多くなることだろう。
日本の国土を考えると、
5000万人くらいの人口が最適だという考えがある。
パラサイト・シングルがさらに少子化を進め
5000万社会へと推進していくとしたら、
農業や製造業、住宅産業に頼らず、
広い国土や資源を必要としないサービス業が
さらに産業の中心となっていくのは、
長期的に見ると、(私たちが亡くなった後くらい。
それまではかなり苦しい)
日本はよくなるのかも知れない。(もちろん皮肉)

11月24日

新書「移民と現代フランス」(ミュリエル・ジョリヴェ)

日本でも外国人に対し10種類の就労ビザが発行されており
特別永住者も合わせると50万人以上の外国人が
日本国内で働いているらしい。
(この数字に不法就労者が加わる)
しかし、就職活動で外国人と出会ったことがなく
(在日コリアンとは出会っていたかもしれない)
外国人と一緒に働いた経験のない私には
外国人の不法就労は身近に考えづらい問題である。
観光ビザで入国し就労する外国人が
不法就労者として足元を見られ
最低賃金以下の賃金で働いている状況は
人権上問題あるとは思う。
最低賃金以下の賃金でも本国よりは高く、
また働き口もあるという途上国の現実は
本当に厳しいとしか言いようがない。
国内労働者の保護のために、
就労目的の移民を制限する政策は理解できる。
外国人の就労を無条件に認めるわけにもいかない。
本書では不法滞在者(サン−パピエ)が
何人も取り上げられている。
彼らはフランスに滞在するための
正式な書類を求めている。
月に5万円で働いていた不法滞在者が、
正式な書類を手に入れれば、
月14万円の仕事にありつける。
彼らはフランス国籍を得て
参政権などが欲しいわけではない。
10年間の滞在許可証が、安定した雇用と
各種手当などの社会保障を受ける権利が欲しいのだ。
そのほかの期間の滞在許可証だと、
更新も安定してなく、生活が不安定になりがちになる。
1年間の滞在許可を得ている外国人が
滞在を更新を申請し、
申請が行政当局に認められるのを待っている。
サン−パピエに滞在許可を与える行政が
効率的に動けておらず、
滞在許可に不公平が生じているのが問題だ。
日本がこれから外国人の就労に
オープンになっていくとしたら、
その許可の基準はどうするのか。
はっきりした基準と、杓子定規すぎない運用が
実行できるのだろうか。
かなり難しい気がする。
まずは、就労許可があるのに
就労の際に差別される在日コリアンの問題を
もう少しなんとかするほうが先決だろう。

11月9日

歌集「木曜日」(盛田志保子)

笹公人さんの「念力家族」と「木曜日」の刊行を記念して
シンポジウムが開かれ、解題などがなされた。
シンポジウムは、謎彦さん、笹さん、盛田さんのパフォーマンスもあり、
岡井隆さんの総評も聞くことができ、とても楽しい会だった。
最初に歌集に対する私の感想を。
難解な単語は使っていないのだが、表現は詩的。

ああなにをそんなに怒っているんだよ透明な巣の中を見ただけ 盛田志保子

例えば、この「透明な巣」という言語感覚が個性的。
同年代の歌人が自分の言語感覚を
歌壇で磨いている様子が伝わってくる。
「短歌って詩なんだなぁ」と改めて思った。
シンポジウムでは「ポエジー」「パンク」
といった感想が聞かれた。

人間のあぶらをつけて蘇る始発電車の窓という窓 盛田志保子

「人間のあぶら」と敢えて嫌な表現をしていると指摘があったが、
そんな嫌さを出している感じが「パンク」なのだと思う。

はい吸って、とめて。白衣の春雷に胸中の影とられる四月 盛田志保子

同じことは例えばこの「春雷」にも言えるのではないか。
「木曜日」について加藤治郎さんや謎彦さんは
過去の女流歌人を思い起こさせると発言していた。
詩的な表現とはそういうことなのだと思う。
過去とのつながりを全く知らなければ、
どれが自分らしさなのか自覚出来ないはずだから。
私は、かんたん短歌から短歌に入ったのだが、
いざ自分で作ろうとしたとき、
人真似ではない「陳腐ではないポップ」に苦心する。
そして自分の個性を発揮しようとするとき、
やはり自分にしかできない表現は意識する。
情景の切り取り方、言葉の構成、そのテンポ。
これら全体的な表現もそうだが、
読み手をノックアウトする言語感覚。
詩人たちはこれに磨きをかけてきた。
短歌をやっているのならば、この奥の深い世界で
自分をアピールしないのはもったいないと思う。
同年代で頑張っている人がいるんだと、
特に20代前半の人には読んでほしいと思う。

11月3日

映画「ラヴァーズ・キス」

2001年1月28日に取り上げた吉田秋生の同名マンガの映画化。
マンガでは、それぞれの相関関係が少し分かりづらかったが、
映画だとわかりやすい。
それに6人がそれぞれに恋心を抱え、
思いが錯綜しているのにリアリティが感じられた。
マンガに思い入れがあれば、
俳優たちがマンガとイメージが違うと思うだろうが、
作品の世界が、動きや声を伴って
こうして映像になることで見えてくる新たなものを
素直に評価したい。
藤井を演じている成宮寛貴は、
私の藤井のイメージとは違うけど、かっこいいし、
美樹を演じている市川実日子は、
すねたり怒ったりする表情に
自分のすぐ隣りでそういった仕草がされているような
強いリアリティを感じ魅力的に思える。
出演している俳優のファンは見て損はない。
個人的に見て欲しいのは、いま恋愛から逃げている人。
恋が成就できない状況にあって、
つい自己否定したくなったり、
これから起こりうる全ての恋に対して
諦めたくなる気分になってる人にもぜひ見て欲しい。

11月2日

イベント「中平卓馬展」

特徴的なのは、1993〜2003年に撮った新作「原点復帰―横浜」から、
だんだんと過去の作品へと遡る展示になっている構成。
70年代、雑誌などに歌舞伎町やボクサーの写真を発表してた彼が
荒々しいもの、アングラなものを荒っぽく写す手法から
(それはブレていたり、粒子が粗かったり)
次のステップに進んだのが「原点復帰」だ。
70年代以降、サブカルチャーが
サブとは言えないくらいに広がりを見せ、
その中で中平氏の写真も理解されていったと思う。
(ある程度の部数である「アサヒグラフ」が掲載したり)
彼は見る者がまだ難解に思う写真を撮ろうとしたのが
この「原点復帰」ではないだろうか。
石段や木々など、ありふれたものを写しているものが多く、
その意味を被写体から感じ取りづらいのもかなりあるが、
一つ感じたのは、あたたかいものをあたたかく撮っている。
日本酒や榊が供えられた小さな祭壇の写真には、
そこに写っていないが、人々の信仰心などを感じる。
何かを切り取っただけで
スピリチュアルなシニフィエが伝わる写真。
これって、以前の荒っぽい写真より難解だと思う。
情報が溢れ、以前より人々が共通の感覚を持てなくなったし、
ある意味を読み取るというのは、
自分の感覚等を司る根幹を見つめ直す行為だからだ。
短歌を作る際に参考にしたくなる世界だった。
大仰なレトイックは使わずに、
その言葉を提示するだけで、
あるスピリチュアルな世界が提示される。
題材の選択と構成だけで勝負できるような、
中平卓馬の写真のような短歌を詠みたくなった。



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