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8月31日

新書「日本の童貞」(渋谷知美)

この本で取り上げられているのは、
太っててメガネをかけていて、
黒くて大きいリュックサックを背負っている
秋葉原にいる人たちではなく、
社会(主にマスメディア)が
童貞に対しどのように触れているかということ。
社会学、特にジェンダーや
メディア研究を学んだ人は一読の価値あり。
人々が童貞をどのように捉えているかを考えるとき、
雑誌記事などメディアによって形にされたもの以外で
その「人々」を具体化するのは難しい。
あの頃って「〜〜って感じだったよね」みたいなのは
社会を科学的に分析しているとは言えないからだ。
この著者も認めているが、
「大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録」を元に
この研究は行われていて、
この研究で触れられていない雑誌もある。
70年代の雑誌のほとんどが
「週刊プレイボーイ」か女性週刊誌で偏りを感じた。
メディアによる戦後の童貞言説で
この本では4つのポイントを挙げている。
童貞喪失年齢の規範化、「シロウト童貞」の登場、
童貞の可視化、童貞の病理化である。
今でもメディアは、
童貞は若いうちに捨てなければいけないものと描くし、
(今放送されている「STAND UP!!」でもそうだ)
男女交際を経てされたものとそうでないものとに
童貞喪失を分けている。
また、この文章で挙げたような「童貞のイメージ」というものが
私たちの間には形を持って存在している。
高年齢童貞を人間的欠陥があるものと
露骨に表現するメディアは最近減った気がするが、
それでも童貞がドラマの題材になるくらいには
童貞というものにフックがあるのだろう。
この本を読んだ感想は、こうしたメディアが
若い男性の童貞喪失に与える影響の大きさだ。
各年代に童貞喪失年齢を調査したデータがあり、
60代に比べ、30・40代の喪失年齢は
18〜20歳の間に、全体の約40%とその数が集中している。
(60代の場合、その間の喪失は全体の25%)
中高6年間男子校を過ごし
「大学デビュー」した友人を私も知っているし、
10代から20代にかけての若者にとって
交際相手がいることは幸せである
といった認識は多くの人が持っていたように思う。
バイト先やサークルで交際相手を見つける例のうち、
どれくらいが「この人でなければ」という
必死さを持っているだろうか。
多くの場合、ある程度の親密さと
許せる範囲のルックスや共通の趣味といった
ボーダーラインを越えた異性との間で
アプローチがされ、それが拒まなければ
カップル成立といった具合ではないだろうか。
彼女がいない男性と彼氏のいない女性が
お互い値踏みしながらアプローチを経て交際する。
彼女(彼氏)はいないよりいるほうがいいんだけど、
こうした市場主義的な男女交際でいいのかなと思う。
私は多分恋愛に対して冷めているほうだと思う。
基本的にはお互いが合意して交際しているのならば、
そのカップルに関して言いたいことなどないのだが、
若い男女の多くがそういう風に感じる必要はないのだ。
彼女(彼氏)がいなくても焦らない、
そんなふうに異性と接してる人があまりにも少ない気がする。
男女交際を意識し始める若い層(中学生かな)に対し
「彼女(彼氏)がいなくても焦らなくてもいい」という声が
「彼女(彼氏)がいないと寂しい」と
焦らせる声に比べあまりにも弱い。

8月24日

映画「Drumline」

機内で見た映画。日本公開はされてない模様。 舞台は大学のマーチングバンド。
伝統あるマーチングバンドを持つA&T大学から
スカウトを受けて主人公Devon は入学する。
スカウトも受け自分のドラムスの腕に自信のあるDevon は、
マーチングバンド内の序列に嫌気が差し、
コーチや先輩たちといさかいを起こす。
見た感想は、どの社会にも「お山の大将」はいて、
やっぱり「出る杭は打た」ないとだめだなと思った。
就職の時によく「弊社は出る杭を伸ばします」とか
言う企業があるけど、
伸ばすのは、打ってなお伸びてくる杭だけでないと。
腕のいいドラマーというのは
ソロをとれるドラマーだけではないし、
周りに合わせてドラムラインのリズムを作ることができるのも
やはり腕のいいドラマー。
耳コピできて譜面を読めなくても困らなかったDevon も
自分が作曲したフレーズをバンドに伝えるときに困った。
こういう共通認識とか物事の基礎って、
コミュニケーションの際にすごく重要なのは、
マーチングバンドに限った話ではない。
個人主義のイメージが強いアメリカでも
こういう映画は作られるんだとも思った。

8月9日

映画「猟奇的な彼女」

劇場公開時は「え、女が男を殴ったりするんでしょ。
もっとキュンとする映画がいいなぁ」と思って
見なかったのだが、終盤でちゃんとキュンとする。
失った彼を忘れられずにいる主人公の女の子が
大学生キョヌと知り合い仲良くなっていくんだけど、
予告でやっていた通り彼女はキョヌを殴ったり
その振る舞いは猟奇的。
韓国の恋愛映画って男が強引なパターンが多いから
これは新鮮で面白かった。
真面目に感想を書くと、
年月の経過は失った恋を確実に軽くするなと思う。
軽くはなるんだけど、
完全に忘れることはできなくて、
あるシチュエーションや思い出の品から
ふと恋の想いがこみ上げてくるのはよくあること。

8月3日

歌集「回転ドアは、順番に」(穂村弘/東直子)

穂村さんと東さんの短歌や散文がほぼ交互に載っている。
出会って愛し合い喧嘩して仲直りして最後は相手が死ぬ。
男女のやりとりが短歌と散文で進められている。
異性と相手の性を意識しながらコミュニケーションをする、
これってすごく楽しい。
その楽しさが伝わってくる。
愛の告白とかフィクションを感じる部分もあるけど、
いつも相手(穂村さんは東さん、東さんは穂村さん)を思って
短歌を詠んでいる。
私も誰か女性とこういう短歌のやり取りをしたい。
不特定多数に向けてでなく、一人の人に向けて詠む短歌。いいなぁ。
穂村さんの「結婚しよう」というプロポーズに
うん、と言うときに生まれたあたたかい風にふくらむわたしのマリモ
こういう短歌で返す東さん。
いいなぁ。こういう短歌を返してくれる人を私も欲しい。
青山ブックセンターでのトークショーの話を。
穂村さんからみた東さんと、東さんから見た穂村さんの作風。
東さんは喪失感を詠むのが上手い。
ただ、それはネガティヴに映ることも。
初夜が明けた朝、ベッドの中で手を繋ぐのを
「水かきを失くした指を」と詠む感覚は独特。
また、身体感覚を言語化して作品に取り入れられる。
「赤いペンキがはらはらこぼれた」みたくその感覚が
言われてみればそうねという、普通の人は言葉にしない感覚。
穂村さんは前衛的な言語感覚を持っていながら、
前衛に突っ走りすぎずに甘い恋を詠める、
そんなバランス感覚を持っている人。
この話を聞きながら、
「恋愛をテーマにすると、
穂村さんは言葉がいきいきするなぁ」と思った。
さすが、歌会でいい短歌を作って
女の子にモテないかを考えた人だけある(笑)。



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