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4月29日

マンガ「戦争中毒」(ジョエル・アンドレアス)

私たちは何かものを買うとき、
よほど欲しい物でない限り、
買うにあたって予算を設定する。
しかし、設定した予算内に
買い物が収まらないことってよくある。
アメリカは連邦予算の自由裁量予算のうち、
軍事費が50.5%を占める(2002年度)。
(自由裁量予算とは予算の総額から
国債関係費を差し引いたものをいう)
アメリカ国民の税負担のうち、軍事費だけで
1世帯平均平均4000ドル近いという算出がある。
アメリカはこうした強大な軍事力の下、
冷戦中に200回以上の軍事介入を外国に対して行った(p16)。
p34にこんな記述がある。
「アメリカ国防総省は、最新鋭の兵器によって、
攻撃目標になった国の基盤施設(インフラ)を破壊しつくし、
数千人いや数十万の人びとを殺して
その国を破滅することができるということを
くり返しくり返し見せつけてきた。
これで報復攻撃がないなんて考えるほうが甘いわよね」
対外的な主権の維持、国際的な秩序の維持として
軍事力が機能している現実を否定する気はない。
ただ、8割を切る識字率や、
4300万人の健康保険未加入者を抱えるという
アメリカの社会福祉の現実を考えると、
「それだけの重装備、それだけの多機能の兵器って
本当にアメリカに必要なの?」と思う。
買い物するとき、出費をいとわなければ、
その分いいものが買える。
しかし、他の出費などを考えて、
ある程度のところで妥協するのが普通だ。
「これだけ出せばもっといいものが買えるけど
これくらいでいいよね」みたいな姿勢って
アメリカ国防総省にも必要なのでは。

4月20日

マンガ「ヘルタースケルター」(岡崎京子)

主人公は売れっ子モデルりりこ。
彼女がCM、テレビ、音楽、映画など
様々な場で活躍し頂点を極める頃、
彼女よりも若い年齢のモデル、
吉川まあこや吉川こずえが台頭してくる。
頂点に立ってしまうと、その上を目指すものが見えなくなる。
若い子が台頭し、自分は年をとっていく
そんな焦りや不安に駆られ、
りりこは自らゴシップを振りまいたり、自分を失っていく。
ちやほやされる瞬間を長続きさせるのって大変だと思う。
この作品の連載期間が1995年7月号から96年4月号。
同じ「フィールヤング」誌に安野モヨコが
「ハッピーマニア」を描き始めるのが95年8月号から。
安野モヨコが人気を得ていくのを
岡崎京子はどう感じていたんだろう。
彼女の作品は後期になると暴力的な描写が増えてくるが、
これは彼女が打った「次の手」だったのだろうか。
自分の社会的地位がおびやかされる不安は
モデルや漫画家でない私たちも感じるものだ。
「今の仕事の地位だけに社会的地位を求めない」
というのはそうした不安への答えの1つだと思う。
もちろん職を失ったら収入を失うし、
今の会社での肩書きや仕事は守りたいと思う。
ある程度のキャリアがある人なら
全く違う業種や職種への転職はまた難しい。
ただ、職を失っても自分に付いてきてくれる
家族や親友は人それぞれいるだろうし、
仕事をしている時間、寝ている時間以外の
「自分の時間」というものも私たちは持っているのだ。
「いつかみんなあたしのこと忘れちゃってもいいです
20年10年ううん5年たったら
きっとあたしのことなんてみんな忘れてる」という
作中での吉川こずえの言葉は諦念でなく、
「どうなってもあたしはあたし」という自信。
そんな強い自分になるのは、
今の社会的地位に固執することより難しいことを
私たちは知っているから
今の日本社会は強い閉塞感に襲われているのだろうか。

4月19日

イベント「再生―環境と建築」

東京ステーションギャラリーでの安藤忠雄建築展。
どうしても模型や写真ばっかりで、
彼の仕事のライヴ感みたいなのがちょっと薄いのが残念。
デッサンがたくさんあったし、
あれ以上求めるのはわがままかもしれないけど。
330分の1の模型とかは広いスペースがある、
美術館での展示にふさわしいし。
もっと素材感が伝わってくると嬉しいのだけど。
ピノー美術館で使われた
ガラス製の屋根のレプリカが展示してあったのだが、
そういったものがもっと他にあったらなおよかったなぁ。
「美しい」とか「機能的」だけでは
よい建築物って言えないんだろうなぁとも思った。
安藤忠雄が関わっている
「ひょうごグリーンネットワークうんどう」の
写真や説明を見ながらそう思った。
建築物、もっと広いと都市計画ってあくまで「入れ物」で、
そこの住民がその建築物や都市にどう関わっていくかで、
それはよくも悪くもなると思うから。
ハナミズキなど白い花の木を植えるこの運動は
この都市を愛してほしいという意味だと思う。
それによい建築物ってその時々の
市民の関心によって変わってくる。
彼が手掛けた「六甲の集合住宅」。
震災を経験した第3期では
パブリックスペースを重視している。
住宅って住むだけでは快適さの実現は難しい。
最も新しい第4期では病院が建てられる。
少子高齢社会の日本でこれはかなりポイント高いはずだ。
あとは、無からではなく何かがある上で作る難しさを感じた。
60度の斜面に建てられた六甲の集合住宅に
「なんでわざわざそんなところに?」
と思った人も多いはず。
既にある何かはまた目に見えなかったりする。
同潤会アパートの建替計画では
残すべきものを人それぞれ異なって捉えると思う。
ある人は壁面に絡まるツタを思うかもしれないし。
安藤忠雄にとってそれは建物の高さだった。
横のケヤキ並木より高い同潤会アパートだと
「変わっちゃったなぁ」という驚きが
確かに大きいかもと彼の視点に納得した。
店舗用スペースは地下を活用するなど、
現代の生活に必要な空間は
もちろんちゃんと確保されている。
最近の都市開発では住職近接がよく言われるけど、
住む場所と働く場所以外の何かが必要だと思う。
グラウンド・ゼロ・プロジェクトでの「鎮魂の墳墓」や
直島での「南寺」の新たな形での復元など
祈りや心の平安が、
彼にとってはその何かとして重要なのだろうと感じた。
何かの前で、何かの下で祈るという
宗教心が薄れてしまった日本人には特に
純粋に祈ることができる場所は必要かもしれない。
そうした直接的には住んだり働いたりするのに
必要ではないものこそが、快適さを生むのだろう。
同潤会アパートや六本木ヒルズを開発してる森ビルは
開発の際、町内会を残したり作るらしいしね。

4月13日

イベント「ドラえもん展」

現代美術の作家たちが
アニメーション、CG、絵画、ファッションデザインなど、
それぞれの持ち場でドラえもんを表現した展覧会。
ドラえもんという存在があって、
それを扱うアーティストがいて
私たち受け手がいる。
広く知られているドラえもんには
送り手と受け手が共有しているイメージがあって
彼らの作品を見ながら
「彼らも私と同じドラえもんの
アニメを見たりマンガを読んだりして
ドキドキしたりワクワクしたりしたんだなぁ」と
彼らと同じドラえもんに触れていたことを実感した。
そして、ドラえもんを見て同じくワクワクしていた自分には、
彼らのような表現力がないのを残念に思う。
そしてまたドラえもんは
様々なイメージを持っていることに気付かされる。
ドラえもんが寝ている押し入れや空き地は
ドラえもんが持つ平和なイメージで
のび太、ジャイアン、スネ夫たちが
肩を並べて同じ場所を見ている絵は
大長編でよくある果敢なイメージ。
広く深いイメージを持つドラえもん。
この展覧会を見ながら
いろんなドラえもんの記憶が呼び起こされた。

4月5日

マンガ「α」(くらもちふさこ)

4人の若手俳優が「α」という映画、
テレビドラマの連作を共演する。
その心模様を描いた作品。
この連作は1話ごとストーリーが変わり、
同じ役者が宇宙船の艦長、電気屋の店員など、
様々な役柄を演じていく。
それを追いかけることによって、
その役者の地の部分、
どの役を演じてもにじみ出るものが浮かび上がる。
キャラクターの描き方が上手いなぁと思った。
これ、映画化しないかなぁ。
TVドラマではダメだろうなぁ。
次の話につなぐために必要なテンションの高ぶりが
このマンガにはあまりないから。
ネタバレさせると、妃子(ひこ)はだんだんとキリを
好きになっていくのだが、
毎回ドキドキハラハラな展開が襲うわけでなく
話の展開が気になって
どんどん読み進みたくなるような
そういう入れ込み方はしないんだけど、
にじみ出るキャラクターを感じ取るために
行間を読んでいく感じ。



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