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11月29日

イベント「Lady Miss Warp」(野宮真貴)

同名のアルバムの発売ライヴ。
場所はラフォーレミュージアム原宿。
大きくなくてよかった。
「気分を出してもう一度」以外、
アルバムの収録曲は全部やった。
よかったと思うとこ、見どころだと思うとこをいくつか列挙。
1.歌唱。
そんなに歌が上手いほうではないと思うけど、
2回目のアンコールでピアノの伴奏だけでしっとりと歌った
ピチカート・ファイヴ時代のナンバー「12月24日」はよかった。
このライヴを見事しっとりとしめくくっていた。
ライヴでは普段聞けないカヴァーなども楽しみの一つ。
エッセイ「おしゃれ手帖」でも取り上げ永遠のアイドルだという
KISSの「ハード・ラック・ウーマン」と
ザ・ピーナッツの「南京豆売り」。
「さよなら小さな街」は槇原敬之に
「南京豆売り」のイメージでと作曲を依頼したそうだ。
2.演奏
ピチカートのナンバーを小気味よく演奏するベース(奏者失念)など
バックのサポートメンバーの演奏もよかったけど、
1回目のアンコールの2曲目「YOU ARE MY STAR」で
野宮真貴のギターが聞けて、
こういったライヴならではの演出がよかった。
お人形さんみたいなのとは反するイメージ。
「パズル」というバンドもやってたし、
この人、元々はバンド少女なんだよなぁ。
なんて思いながら見ていた。
3.衣装
お色直し4回。
最初の衣装は青を基調とした短いドレスに頭には青い羽根。
2回目の衣装以外ずっと丈が短い。
2回目は大きく花が刺繍された赤いジャケットの下に
ノースリーブのトップスと下は花をあしらった(たぶん)デニム。
「上海的旋律」に合わせ1940年代の上海をイメージしている。
この人、40過ぎてるんだよなぁとか思ってしまうと
彼女の頑張りを思わず見てしまうけど、
3回目の60年代っぽい白いミニのワンピースとか
似合ってしまうんだからすごい。
この衣装とか4回目の金のラメっぽいワンピースとかは
ピチカートの衣装とイメージが近い。
最後5回目の衣装は大きく背中の開いた黒のドレス。
それを着て両腕から首へとかけられた白い毛皮。
こういうのが似合うのもやはりこの人の個性。

11月9日

マンガ「記憶の技法」(吉野朔実)

主人公の記憶喪失癖を起こした強いショックが
話の中で明らかになっていく。
この結末も私の予想を裏切るものでなかなか良かった。
主人公に同情せざるを得ないような結末。
つらい過去を思い出してしまった主人公の間。
これがよく描けていて、
読んでいるこちらのページが思わず止まってしまった。
(ネタバレさせないように書いてるので
説明不足なのはご了承を)

11月8日

小説「MISSING」(本多孝好)

この夏にいろんな書店で平積みしてたので見覚えあるひともいるかと思う。
「あの人が〜したのは…だったから」みたいなのが
説き明かされながら展開していく短編集。
ミステリーっていうほど謎を強調してはないけど、
話はこちらの想像を裏切ってくれる。
特に男女の描写、男主人公の独白は文体がかなり甘くて、
鼻につく人もいると思う。途中のエピソードが都合よすぎたり。
人間がみな持っている負の側面をドラマと上手くつなげてる。
ドラマから見える登場人物の人間性がよく描かれてて
読んでいて登場人物と気持ちがシンクロして内省的になった。
他のサイトでも「痛気持ちいい」「悲しい」「切ない」
といった形容がされてて、
彼が描く人の負の側面に共感してる読者がいるのだと思う。
このドラマ性と少しロジカルな展開を気に入った人は
新田次郎の短編も気に入る気がする

11月4日

小説「海辺のカフカ」(村上春樹)

ずいぶんと時間をかけて読んだので、
今となっては作品の細かい部分を
取り上げることが出来ないので作品全体の話を。
作者が描こうとしている記憶を
読みとりながら読んでいくと面白い。
後ろ向きな意見だけど、
記憶って徐々に薄れていくから
私たちは記憶と向き合っていけるのだと思う。
もちろん、過去の出来事を
きれいさっぱり忘れてしまっては進歩がないけど、
物事の記憶って薄れていくから
その物事を一般化できるんだと思う。
ある失敗の記憶を細部まで覚えていては
そこから何かを学ぶというより、
その失敗にとらわれてしまうと思う。
美しい物語って、経験した直後は
「この体験を僕は生涯思い出し続けるだろう」
みたいな気持ちになるけど、
そんな体験も時間をかけて記憶が薄れていって
物事は経験として一般化されていくんだよね。
そして、その一般化の過程は本人の中で生成されていく。
ひどい別れ方した男がそのときの恋愛を
よいものとして振り返ったり、
物事の一般化って個人的な作業だから
それは独善的に進められることも珍しくなくて、
そういう風に一般化されても
振られた女はそうなってることを知ることもないし、
そうやって物事は前進していくんだと思う。
そういうのって、男がこれ以上自分自身を
傷つけないようにしている作業だと思うし。
(こういう反省のない男が、今度また別の女を
傷つけるかも知れないというのは、別の話)
相手に出会う前の記憶を押しつけることも出来ないし
別れた後の記憶も管理できない。
逆に言うと、だからこそ、
相手を自分のものにしたくて、
相手と記憶を共有したくなるんだと思う。

11月3日

イベント「ヴィフレド・ラム展」

独特の立体感ある描き方が見ていて面白かった。
1930年代中頃の作品は絵の中に軸があって
「どう見ても立体にしか見えない」みたいな説得力があった。
30年代後半になると平面の重なりで立体感を描くようになり、
質感の違った立体感となっている。
ピカソと交遊を持ち始めた38年以降は
縁取った平面的な絵を描き
その縁取りが見る者に見る方向を指定する感じだった。
40年製作の「アンドレ・ブルトンの詩編」は
幾何学的な組み合わせでK・ヘリングの先輩って感じ。
個人的にはシンプルな素描が気に入った。
ラムの絵や解説を見たり読んだりして、
シュールレアリスムが少し分かった気がする。
例えば人を描くとき、その人自身を描くことを
シュールレアリスムは目的としていない。
戦争とかそういうはっきりとした形のないものを描くときに
その媒体として実際に形を持っている人間を
描いているだけだと思う。
もしくはメタファーとして描くこともあるかも知れない。
だから実際の戦士の装備とか
そういうリアルさは描く必要がなくて、
戦争を思い浮かべたときに人が浮かんだから
人を描いているのであって、
描きたいのは人でなく戦争なのだ。
たぶんこういうことだと思う。
晩年は記号性が強まってきて
彼のメッセージがよくわからなかった。
日本人にとっての「キツネ=人を化かす」
みたいな意味が彼の描く馬や鳥にもあると思う。
そういう意味を私は知らないから
絵を見たイメージ以上のイメージは分からなかった。

11月2日

政治書「インターネットを武器にした<ゲリラ>」(山本純一)

本の内容はメキシコの先住民による民主化運動の研究。
先住民を中心としたサパティスタ国民解放軍(EZLN)は
武装蜂起ののち「ラカンドン密林宣言」を発表した。
正義心・愛国心に訴えるこの宣言は国内外で支持を得、
政府は停戦を発表し、和平交渉が始まった。
(彼らの言葉に耳を傾けざるを得なかった。
武力でこのまま制圧することが出来なくなった)
EZLNはそのメディア戦略によって発言力を増していった。
彼らの追い風となったのはジャスティン・ポールソンによる
ウェブサイト(http://www.ezln.org/)だった。
EZLN主導ではないサイトだが、これはマスメディアを重視する
EZLNの姿勢とマッチするものだった。
彼らの言説は世界中を駆け巡り、EZLNの支持者が一つにつながった。
彼らの言説が力を持ったのは、
彼らが求めている自治とか民主主義といったものは
フランス革命など、西洋の市民が勝ち取ってきたものだからだ。
彼らの言説は歴史によって正当性が与えられていた。
また、意見が同じと言うこと以外お互いに知らないネットの匿名性は
逆にその意見の下、強いネットワークを発揮した。
EZLNがその主張を先住民の主張でなく、
障害者、女性、子供、同性愛者などあらゆる社会的弱者に
「民主主義」「自由」「正義」といった言葉で訴えたことも
その支持を広げていった。
EZLNと政府は天然資源の利用、彼らの自治などで対立し、
今も交渉は決裂したままである。
自分たちの共同体を公法団体として政府に承認してもらい
自分たちの社会を築いていくという、彼らの考えは
現代人には魅力的に映る。
予算も規模も大きくなってしまった現代社会では、
自分が払った税金がどのように使われているかが見えないし、
自分と社会との関係も強く感じられない。
ただ、彼らの主張が認められ共同体による政治が実施されれば、
今度は新しい問題が生まれてくると思った。
共同体の中で実際生活する場合、そこに地理的な問題が出てくる。
イスラエルにもアラブ人が住んでいるように
ある共同体の構成員が全て同じ立場というのはあり得ないだろう。
同じ立場の人が集まるネット上とは違うのだ。
弱者だった者が共同体で自治を行えば彼らが強者になり、
新たな弱者を生み出すことになるのではないだろうか。
先住民たちは共同体の構成員を
エゴイズムの持たない者と想定しているが、
民主的に、かつ多様さを認めようとする政治を行おうとすれば
その中で一番になろうとする者が出てくる。
著者も言及している「境界を超えた」「普遍的基準」を
あらゆる政治的決定に際してどのように見出すかが重要だが、
その答えはまだ見つかっていない。
この著書はテクスト分析にだいぶページを割いているので、
政治に興味がある人は是非読んでみるといいと思う。
ある社会的背景(コンテクスト)がある宣言(テクスト)を生み、
それによって新たな社会的背景(コンテクスト)が生まれる。
自分の主張を客観的にテクスト分析することが
政治家には必要だと思う。
また、それを知っているからこそ、
政治家たちはある宣言や法律を採択する際に
その文言の動詞一つにこだわるのだ。
それによってその後の社会(コンテクスト)が
変わることを知っているから。



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