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6月25日

『ザ・ガール・フロム・レディメイド』(野本かりあ)

野本かりあ名義での初めてのミニアルバム。
音の感じとかは基本的にはピチカートの延長線上だと思う。
(私はピチカート・マニアではないので、
細かい差異は耳に入ってこない)
私が思ったのは野宮真貴より声に広がりがあるなということ。
野宮真貴がウィスパリング・ヴォーカルを売りにしてたこともあるが。
荒井由実の「きっと言える」をカヴァーしているのだが、
サビの「きっと言える」の部分は「きぃっといえぇるぅぅ」と
やっぱり歌いきってほしくて、
この部分、特に「るぅ」に広がりがあっていい。
ここのフレーズに限らず語尾をやや伸ばし気味に歌ってるのが
くどく感じる人もいるだろうが、私は好き。
敢えて言うと、2曲目の「ノンノン人形」が
小西康陽による日本語詞で1月もしないうちに聞き飽きそうだ。
やっぱりオリジナルの仏詞ほどのパワーがなくなってしまう。
母国語ってすぐに陳腐化するし。

6月23日

マンガ「いつもポケットにショパン」(くらもちふさこ)

ピアニストの卵である女子高生が、
周りのピアニストの卵たちや先生、
コンクールなどによって自己が磨かれていく話。
私は基本的に何かに向かって努力することが苦手で、
努力を描いた話に思い切りのめり込むことが少ないのだが、
この話を読んで考えさせられるものがあった。
敵に勝つためでなく、自己実現のための努力。
人間が生きていくために、「こうありたい」「これをしたい」と思うこと、
そして、そのために努力している時、
人間は生き生きしているということ。
今、私にやりたいことってあるだろうか、
なりたいものってあるだろうかと考えてしまった。
就職活動中、なりたいもののために向かって努力してたのに、
今では自分を磨くことをすごく怠っている。
いろんな人に触れ、いろんな考えに触れ、
ものの考え方を広げたいと思って、
今の職業を目指し、無事、就職できたのに、
今、私はどちらかと言えば閉じこもった生活をしている。
大衆全体に対しては依然興味を持っているけど、
私を刺激する新しい考えやその持ち主に触れるための
努力をまったくしていない。
主人公はピアノを弾くのが楽しいし、
ピアノを弾くことで言葉では伝えられないことを
他の人に伝えることができる。
こうした彼女にとっての「ピアノを弾くことの意味」
みたいなものを多くの人は他の人も持っているわけで、
(そのためには、相手に伝わるための最低限の努力
〜それはたいてい、単調にしてつまらない〜が必要であるが)
私もそうしたものを持っていた。
主人公のピアノほど明確なものではないが、
私の場合、それは自分の考えを伝えることだ。
そのためにこうして文章を書いたり、
考えを相手に伝える言葉を見つけるため本を読んだりした。
言葉では伝えきれずにいるものを少しでも無くそうと、
新しい考えに出会おうと、学生時代の私はしていたのだ。
他人の目には努力と映るほど必死ではなかったが、
それでも私の目は外に向いていた。
また、あの頃のように目を外に向け、
実行、検証を繰り返していきたいなと、
このマンガを読みながら思った。

6月16日

マンガ「シャンペン・シャワー」(かわみなみ)

ワールド・カップブームの中、文庫化された作品。
復刊ドットコムでえらく盛り上がってて、
気になって内容も調べずに衝動買いしてしまった。
作品を簡単に説明すると、
1983年から86年まで「LaLa」に連載されたサッカーマンガ。
ギャグマンガだけど、作家のサッカーへの愛が
その裏にあるので、悪意のようなものはない。
ギャグがシュールなギャグの繰り返しなので、
スポーツマンガに熱いモノを期待する人は、
肩すかしを食らった感じになると思う。
笑いの質がキャラで笑わせることに重点が寄っている。
私はどちらかというとスポーツギャグマンガらしく
スポーツマンガの醍醐味、スピード感と緊張感を
高まる寸前に外す、正統的な笑いの方が好きなんだけど。
もちろん、試合中のギャグなどはこういった類のギャグも多い。
ダジャレのような言葉に頼ったギャグが少ないから
20年近く経った今でも、古びた感が少なく、楽しめると思う。

6月9日

イベント「The Day マグナムが撮った NY 9/11」

マグナムという写真家集団のメンバーによる
9月11日の同時多発テロの展覧会。
マグナムはロバート・キャパなどが設立したもので、
写真家の意図に反したトリミング、キャプションに対し、
写真家の権利主張をする集団。
事件前から現在まで扱っているが、
メインは、「撮らなきゃ」と写真家としての使命に駆られ
彼らがNY市内をカメラを持って走り回った
11日とその後の数日間。
記念集会でのプラカードの言葉
("War is not the answer"
"Break the circle of violence")
こうした反戦思想が薄れてるなって感じた。
またテロや武力侵攻が起これば
こうした考えは盛り返すだろうけど、
そうした攻撃が起こらない限り忘れたままでいそう。
でもそのままだと、暴力を内包している状態から
世界は脱却できないのだろう。
印象的だった写真を3つ。
アレックス・ウェブの「マスクをする現場付近の住民」と
「9月11日 灰に書かれたメッセージ」。
アフリカ系女性の服装(白のカットソー)、標識、トラックの車体広告。
女性のマスクと瓦礫と舞っている埃以外は普段のNYの光景で、
事件が生身の人間を襲ったことを前者は強く感じさせた。
灰が積もった自動車のフロントガラスに"I survived Moe"。
これだけで、事故に遭った人の必死さが伝わってくる。
「このメッセージが伝わるように」という相手の生存を望む思い。
メッセージって思いがあるから伝えようとするんだけど、
メッセージに生死が関わっているとやはり重い。
デイヴィッド・アラン・ハーヴィーはジャッジ牧師の通夜を写した。
彼は事故後犠牲者に祈りを捧げ、倒壊したビルの下敷きになったのだ。
当日WTCにいた人々だけにこの惨事の被害者が留まらないことを
私は彼の写真を通して再確認した。
最後に気になったことを数点。
事件があまりに非現実的だから、
モノクロ写真だとさらに非現実的なフィルターがかかってしまい、
フィクションっぽく感じた。被写体に生を感じなかった
(確かに放心状態で生きている状態と言えないんだけど)。
事件現場の消防署員の写真が映画のスチールみたいだった。
写真家が自然と身に付けている構成、構図の取り方が
マイナスに働いてると思った。



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