7月29日

マンガ「動物のお医者さん」(佐々木倫子)

読み進めてみて一番強く思ったこと。
「菱沼さん、就職できたんだ!」
こういうキャラって絶対出来ないと思った(笑)。
(どういうキャラか乱暴に説明すると、鈍い)
漆原教授とか、チョビとか、顔が濃くて、
読んでて絵の感じが最初は慣れなかった。
もともと、私は劇画とか苦手だし。
読み進めていって大分慣れたけど。
(また、絵も連載を続けて洗練されていったように思う)
基本的にはほのぼのと楽しんだんだけど、
漆原教授のキャラの濃さに引いてしまう人とか
絶対にいそう(笑)。私は大好きなんだけど。
「こち亀」もそうだけど、強引なことをして、
結局、困るというのは、ギャグの1つの型だし、
読み慣れてるし、普通に楽しめる。
(ちょっと毛色が違うけど、「あたしンち」なんかも
強引なことするキャラで笑いを取ってるね)
個人的にはハムテルの
おばあちゃんも好きなキャラ。
頑固で後に引かない感じが好き。
(また、こういうキャラも
ギャグマンガでは絶対に欠かせない存在)

7月27日

映画「接続」

お互いのコイバナをチャットでやりとりしている男女。
女は「会いたい」と相手を意識し、
男は会いたいんだけど会えないくらいまで相手を意識する。
そんなメル友同士が最後には会ってハッピーエンドと
言ってしまえば身も蓋もないんだけど、
会ったことない者同士だから
気楽に自分の話を出来る感じとか
思い出のものへの強い思いとか共感できた。
(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの3rdアルバムが
男の思い出のものっていうのがかっこいい!)
ハン・ソッキュが演じてるこの主人公は
かなりわがままだと思うんだけど、
寂しい相手の心に入り込むのが上手いし、
自分の弱さを見せるのが上手いんだろうなぁ
なんて考えてしまった。

7月21日

映画「春の日は過ぎゆく」

距離を置こうとしている女に会おうとする男。
こういうのを第三者的に見ると見苦しいのはよくわかるんだけど、
う〜ん、やっぱり、こういうのって身に覚えがあるんだよね。
誰かが見る映画ではなく、感じる映画と言ってたけど、
見ながら「イタイなぁ〜」と感じることがあった。
で、ネタバレさせてしまうと、焼けぼっくいに火が付くことなく、
2人は結ばれないんだけど、
やっぱり男女って引き際って大切だよなぁみたく思った。
「若きウェルテル」のように引き際に死を選ぶ時代では、
今はないだろうけど、好きだけど身を引くことって絶対あって、
恋愛って人間を自己中心的にさせることを
わかってるかどうかって、恋愛に飲み込まれないために
(恋愛によって精神的に参らないために)必要だと思う。
2人の間に距離が生まれる感じがよく描かれてると思う。
2人の距離が接近する様子の描写は少ないけど、
ご都合主義っぽいと突っ込むのはヤボというものなのでしょう。

7月7日

映画「みんなのいえ」

やっと観た。
既成概念を取っ払おうとしても、
行き着くところは基本だったりするんだよね。
音楽なんかでもバッハの頃に
様々な音階の組み合わせは出尽くしたってよく言われるし。
建築の基本(家は丈夫が一番)に忠実な棟梁長一郎(田中邦衛)と
特に外見のスタイリッシュさを重視する
デザイナー柳沢(唐沢寿明)のズレ。
ま、でもお互い住みやすさを考えていくと、
まったく相反するわけではないんだよねという、
まぁ、予想できるラスト。
三谷作品が好きな人には、白井晃演じる一級建築士須賀を
観るだけでも、レンタル料を払う価値はあるけど。
長一郎が6畳の予定の和室を20畳にしたりといった暴走と
依頼人直介(田中直樹)、柳沢の顔を立てながら
何とかしようと困ってる感じがなんともいい。
映画って予告篇で情報過多になっちゃってて
実際観ても、それ以上に得るものが少なかったりする。
これも大宣伝をかけて、そういったところがあると思う。
チョイ役で出る明石家さんまとか、そういうディテールとか、
役柄を通してにじみ出る役者自身がもつキャラクターとか
(田中邦衛はやっぱり田中邦衛なのだ)
そういう楽しみ方ができるような作りになってるなぁと思った。
三谷作品ってマニアがいるし、そういう需要があるのだろう。
さらに彼のことだから、私なんかにはわからない
アメリカのコメディのパロディとか、
いろいろ元になってるものがあって、
そういう元ネタ探しも楽しめるようになってるんだろう。

7月6日

イベント「マラソン・リーディング 2002」

フリスビー投げたり、身体をくねらせながらなど、
朗読する作者は各自いろんな趣向をしていて面白かった。
14:00〜19:30までの長丁場の中、
40組の出演者が代わる代わる出てくる状態では、
自分の印象が残るような工夫が必要となってくる。
作品を届けるという上では、
少しゆっくりと間をおいて2回繰り返して朗読するという、
スタンダードなやり方が一番よかった気がするけど。
短歌を聴いて、その情景が頭の中に浮かび上がるまでの時間は必要。
けっこう、早口な出演者が多かったけど(時間的制約のためだろう)
ただ、作品を届けるのが一番の目的でなくてもいいわけで、
作者とファンが場を共有できる数少ない機会であるわけだから、
この2者間のコミュニケーションを取ることに重きを置いてもいいと思う。
ファンは作品を通してファンになったのだから、
作品を通してコミュニケーションをするのが一番自然で無難なんだけど、
作品を作者のパーソナリティを伝えるための媒体に過ぎないと考えれば、
作品をただ朗読すればよいというわけでもないだろうし。
岡井隆さんの朗読は訥々と読む感じなんだけど、
あんまり眠くなったりしなくて、それは長年かけて培われた
パーソナリティによる魅力なんだろうなぁと思った。
活字だと、年寄りの作品かぁとか思ってしまうんだけど、
やっぱりライヴだといいし。
あとは、声の魅力って重要だなぁと思った。
そらの咲さんや関節夫さんの声はよかった。
歌人、詩人も、発声練習と楽器の練習は重要だ。
ライヴのような場だと、音楽があることに観衆は慣れているので、
発表時に音楽を用いることは非常に効果的だと思ったのだ。
追記
○(冒頭の)「あ〜あ〜あ〜」ってそれは何?
東直子さんの第1首目、
雨が降りさうでねとても降りさうであたしぼんやりしやがんでゐたの
これの第一声、「あ」を、伸ばしながらリフレインさせてたのです。
○全員が自作短歌の朗読なのですか?
松井茂さんと杉山モナミさんは、相手の作品を朗読し合ってました。
今年作ったような新しいものを発表してる人が多かったです。
○一人 何首くらい?
これは様々。作品を読むことに重きを置いている人は、
20首くらい読んでたりしたけど、
パフォーマンス中心の人は、トークショーみたいな感じで、
時折、31文字のフレーズが混ざってるなみたいな感じで、
短歌を何首読んだか数えるような雰囲気でなかったり。
○朗読でダンスって想像できないんですけど…。
動きを付けてる人は多かったです。
くねくねさせ身体をピタっと止め、言葉を発するとかそんな感じ。
○観客は作品を本(テキスト?)とか見ながら聴いているのですか?
テキストは500円で売ってるけど、全員のが収録されて無くて、
(穂村弘さんの詩とか、岡井隆さんの短歌とか未収録)
これは補助的なもので、朗読中は見ないで欲しいというのが、
マラリー側のスタンスでした。朗読中にテキストをめくる音も気になるし。
私も、その場限りで消えゆくものに
歌集1冊分くらいの値段を」払ってるわけだし、
朗読を楽しもうと思って、朗読中はテキスト見ませんでした。
○出演者やお客さんの年齢層は?
中島裕介さんや増尾ラブリーさんは若くて、
20代中頃、私よりちょっと上って感じかな。
上は岡井隆さんかな。古稀を過ぎてらっしゃいます。
客層は30後半〜60くらいが中心かなぁ。
短歌をやってる人が聴きに来てるから、
(この辺が、伝統化した文化の閉鎖性だとも思う)
若い人って少ないです。
年輩のお客さんも、若い出演者のパフォーマンスを
結構楽しんでいた様子。



[2000][2001][1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][2003]
[セレクションへ][INDEXへ]