5月30日

マンガ「バシズム」(日本橋ヨヲコ)

ヤンマガとその増刊で掲載された作品を
中心に集めた短編集(8話収録)。
心理描写がストレート。
共感を呼びそうなシーンをいくつか引用してみる。
もちろん、マンガのシーンというのは、
流れで読んでこそ、そこに感動、共感するわけで、
これでは良さが伝わりにくいと思う。
ただ、これらのシーンのセリフを言う人の立場、
言われる人の立場になりきって読んでみると、
ドキドキしたり胸がキュンとなる感じを味わえると思う。
最初は特待生で入った織田をかわいがってたが、
記録が伸び悩み始めてから織田を見切って
山田をかわいがるようになった陸上部コーチの
様子を見た陸上部員の言葉。
「結局大人ってさー『こっちの方が失敗しないだろう』
っていう保証が欲しいんだろうね。
(1話目「ストライク シンデレラ ゴーゴー」)
クラス1の美女に告白したことを後悔している
モテない主人公、板橋に対しての級友佐々木の言葉。
「お前が思ってるほど他人はお前の事気にしてねーよ」。
(2話目「ノイズ・キャンセラー」)
ラストの挿入文(ナレーション)。
「(略)だから若人よ 嘘臭い くどき文句を語るのなら
いっそのこと体目当てだと言って欲しい
それは意外に純愛だ」
(6話目「CORE[コア]」)
志望校がいつまでも決まらない主人公有島(♂)が
「大学どこにするか決まったか!?」と
担任(♂)にイラツキながら訊かれ
与謝野先生(♀)の方に走り寄って叫んだ答え。
「オレの人生の第一希望はっ 先生とセックスすることです!!」
(7話目「ギアボイス」)
頭の中であれこれ考えずに思ったことを口にしてしまう人、
自分の弱さをさらけ出せる人の強さが表れてると思う。

5月26日

マンガ「オススメボーイフレンド」(いくえみ綾)

「たまには新刊を」と思い購入。
買ったら見覚えあるマンガだった。
奥付の掲載時期を見ると、別マの平成13年3月号、4月号。
この頃は出版社を受けまくってた時期で、
集英社を受けるに当たってどうも読んだようだ。
(別マを買った記憶が今ひとつない…)
さて、話を戻そう。
読んですぐに、「あ、見覚えある」とわかるくらい、
この人のマンガって出だしが特徴的なのが多くて、
このマンガもそう。
「アッチョンブリケ」ってなんだっけ?と
いきなり面識の無い男に訊かれる場面から始まる。
こんなの絶対困るけど、何だこいつ?と
印象に残るのは間違いない。
「バラ色の明日」でもそういうのがあったけど、
変な男を登場させて、そのキャラの魅力で
読ませてしまうという展開だ。
(ここで恋に落ちるのはマンガだからで、
実際は恋に落ちないと思うというのは大概の読者は知っている。
ただ、少女マンガのセオリーに乗っかっていれば、
それは現実には起こり得なくても話に整合性があって
リアリティがあるから大した問題ではないと私は思う)
で、このマンガの感想はと言うと、
「何で付き合ってるのかわからないけどとりあえず付き合ってる」
みたいな男女交際って若いうちは結構許されるし、
それは回り道だけど、経験値として残るし。
これはちょっと普通とズレてる読み方だけど、
お互い好きな者同士が結ばれるのが
絶対的にハッピーとは限らなくて、
それぞれがタイミングとハプニングで
別の異性と付き合い出したって、幸せな経験って生まれるはず。
つきあい始めて上手くいく保証はないし、
好きな人が変わることだって珍しくないしね。
同時収録の「頼ちゃんは叶わぬ恋をしている」も面白かった。
これは「バラ色の明日」の1巻に収録されている
「巷に雪の降る如く」の続編。
前話のラストであっちゃんと先輩は交通事故に遭う。
私のように勘違いしてた人もいるかもということで、前話のおさらい。
先輩は昏睡状態にあって死んではいない。
で、そんな先輩をあっちゃんは見舞っている。
「目の前で車が大破した」でこの話は始まってるけど、
2人とも死んでません、はい。
で、先輩は昏睡状態のままで、
昏睡状態の先輩にとらわれ恋が出来ずにいる頼と
頼に好意を抱いている、頼の従妹、栄の話。
そしてもちろんあっちゃんも出てきて、
彼の環境もまた、大学時代とは変わっている。
しかし、先輩への見舞いは続けていて
彼もまた先輩にとらわれている。
このマンガを読んで思ったのは、
栄などに囲まれ頼の心は少しずつ開いていってて、
それを「時の流れは残酷だよね」と言うこともできるけど、
でも、喜怒哀楽が時を経てもそのままずっと残ってたら、
その間にも私たちはいろんな体験をするわけだし、
精神的に持たなくなってしまう。
悲しい経験から立ち直っていくことって
悲しい経験をする前に戻るわけではない。
人との関係に別れが付いて回るのは仕方がない
ということを自然に受け止められるようになるには
何回か別れを経験することが必要。
自然にと言うのは、別れた人のことをいつまでも思い続けたり、
「どうせ別れがいつかは訪れるんだから」と
醒めてしまったりしないということ。
人は独りでは生きていけなくて、
ある別れが訪れたとしても、それ以外の人間関係は
自分と続いていて、別れを自然に受け止められないと
そこの人間関係に支障が出てくるからね。
人と死別して気丈すぎれば「冷たい人」と
周りから見られかねないし。

5月5日

エッセイ「世界音痴」(穂村弘)

目次を見たら「ひとりっこ」という話があったので、
これが面白そうだと、この作品から読み始めた。
ゴミをゴミ箱の方向に投げれば捨てたことになるというルールや、
町の中でワープロを打つ場所が見つからず、
「テーブルになってくれない?」と
ガールフレンドに言ってしまうところとか、
彼のひとりっこっぽいエピソードは読んでいて面白かった。
私は妹と7歳離れている。
つまり、7歳までひとりっこだったのだ。
人格形成に重要な幼少期をひとりっこで育ったので、
私の性格もかなりひとりっこ。
読んでいて「わかる」部分があるから楽しい。
ただ、「あの窓の向こうに」を読んで「う〜ん」と思った。
これは、夜、信号待ちで止まったときに、
道路沿いのマンションの窓の向こうを空想する話である。
この誰も止められない空想の世界。
この独りよがりっぷりを読んでたら、
「彼って社会不適応者じゃないかしら」と心配になってきた。
私も、ちょっと自意識過剰なところがあると思うし、
言動が他人と変わっていると、他人から言われることもある。
彼と似た部分も私も持っている気がする。
そう思ったら、「社会適応性を身に付けなきゃ」と強く思った。

(でも、どうやって?)

5月1日

映画「少年と砂漠のカフェ」

アフガニスタンとの国境近くのイランの町へと
働きに出てきた(不法入国した)
アフガニスタン人少年を描いた物語。
この映画を観て、「私たちは恵まれているなぁ」と思った。
たとえば金銭の支払いに対してシビアになるような
ハングリー精神がなくても生きていくことができるし、
高校くらいまでは生活の糧を考えなくても
親の庇護の下、生活していける。
高校から先の進路も、たいてい親が支援してくれて、
特別な専門性を必要とするようなものでなければ、
なりたい職業に就くための準備もできる。
知らない土地へと運ばれてそこで働かされる、
そんな目に遭う日本の若者はほとんどいない。
主人公キャインは、戦火を逃れてイランへとやってきた。
彼は、ランで働ければよかったわけで、
別にカフェで働きたかったわけではないはずである。
日本のフリーターという現象は、
一度定職に就くも離職した結果である例も多い。
キャインのような仕事を選り好みできない状況なら、
フリーターなんて考えられないだろう。
フリーターを許す日本の社会って
経済が高度に発展してるんだよね。



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