5月15日

イベント「宮本佳明展 『巨大建築模型ミュージアム』」

長島有里枝展が目的で行ったのだが
同時開催のこちらもかなり良かった。
宮本佳明はパンクだなと思った。
建築は法律やその他行政による様々な制約を受ける。
行政は「最大多数の最大幸福」を考えて動く。
それは一つ一つの個別のケースだと
ベストではない状況を生むことがある。
人にとって住むというのは最も大切なことの一つ。
効率を考える行政に抵抗したのが
彼の代表作品である、「ゼンカイ」ハウスだ。
全壊と判断された建造物は壊して新たに立て直せという
効率を求める行政に果敢に挑戦。
彼は今でも全壊と判断された生家を補強した
「ゼンカイ」ハウスを仕事場として使っている。
大阪国際不条里空港も面白い。
飛行機を離発着させることしか考えずに作られている
大阪国際空港(伊丹空港)を
条里制を生かしながら作り変えようというもの。
まず滑走路ありきで作られ
その後空港内施設が「ウイング」のような形で
増築されるのは美しくないし、
施設中の移動も効率的にはいかなくなりがち。
平行四辺形の敷地から正方形や長方形を取った部分、
行政なら無駄と判断してしまいがちな部分を
自然な形で活用した計画はとても美しいと思った。
彼だったら地図に線を引いたような
下北沢の再開発計画を
もっと現状にあったものにしてくれるだろうに。
展覧会は心斎橋筋のKPOで7月18日まで。

5月8日

新書「寝ながら学べる構造主義」(内田樹)

構造主義の入門書。
私たちがふと立ち止まって物事を熟考するにあたって
役立つことがたくさん書かれている。
私が大学で社会学を学んだ際に教授に
「数学や物理など自然科学がある解を普遍的に導き出すのと異なり
社会学はある現象や事象を考察する枠組みが研究者によって異なり、
そこで導き出された考察はその枠組みの中ではという前提条件がつく」
といったような意味のことを言われたのを覚えている。
三角形の面積を出す式は「底辺×高さ÷2」の一つだけだが、
経済学で景気循環を説明する学説は複数ある。
ある物事を考察する際、その考察がどのような枠組み、
何を前提として導かれたものなのかは、
その考察の結果と同じくらいに重要なことである。
私たちは物事を考える際、私たちはその考察の
前提となっているものを意識せざるを得ないのだ。
本著第1章1項のチャプターは
私たちは「偏見の時代」を生きている、とある。
私たちは民族の習慣の中で生まれ育ち、
生まれ育った土地の公用語を話して生活している。
日本語に「肩が凝る」という言葉があるから
日本人は疲れた際に肩の凝りを意識する。
同じような状況で英語では'I have a pain on the back.'と言う。
同じ状況下で日本人は肩を欧米人は背中を意識する。
このような例を一つ一つ挙げ、
私たちが習慣や言語といった文化の影響下で
物事を見ていることを本著は解説している。
本著では構造主義の代表的な学者と
その学説を広く抑えているので
構造主義を広く意識することが出来る。
ソシュールの項を読み、上に挙げたような
私たちが普段用いている日本語を意識し、
フーコーの項を読み、私たちの考察の前提となっているもの、
フーコーの言うところの「権力」、
言い換えると私たちの行動を導くものを意識し、
さらにフーコー以降、フーコーの学説が「権力」
となっていることも牽制する自己言及に
構造主義の奥深さを感じる。
構造主義者によるサルトル批判を説明した部分を読むと、
私たちは自分の中である種の正解というものを
決めたがってしまう性質を持っているんではないかと思う。
多くのオーナー社長が自らの成功体験に囚われてしまうように
正解にしたいあるものを歴史、経験によって
裏付けようとするのはよくあることではないだろうか。
サルトルが考える「正しさ」、それを裏付ける「歴史」は
西洋の歴史しか頭に入れていないと批判されたように
時代、民族、文化を超えた普遍的な「正しさ」を
見つけることは容易ではなく、
私たちの身の回りでは、なんと多くの価値の押し付け、
配慮を欠いた振る舞いがなされていることだろうと
本著を読んでつい考えた。
私たちは以前よりも増してずっと多くのコミュニケーションや
数多くの立場を考慮することが求められている。



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