2月27日

イベント「阪神タイガース展」

草創期から2003年の優勝まで時系列で振り返る展覧会。
コメントが細かいのがよかった。
田淵が活躍した頃のユニフォームの
袖口と足の両側に黄色と黒のギザギザのライン、
輝流ラインと呼ぶらしいが、
この輝流ラインのユニフォームをデザインしたのは
札幌オリンピックのシンボルマークをデザインした永井一正だとか。
海外のグラブのメーカーとか説明に固有名詞を出してて
細かいことをいろいろ知れた。
「月刊タイガース」が昭和53年3月刊行で
球団発行誌はこれが最初だったとか
「へ〜」とうなずきたくなる展示多数。
個人的に良かったのはユニフォーム展示。
江夏と田淵のユニフォームを
新聞紙で作った人型に着せて展示していたのだが
そうすると吊るしてある他選手のユニフォームと違い
江夏や田淵の大きさがわかる。
選手本人や遺族から提供してもらった展示品も多く
この機会でしか見れないないだろうものも多い。
私が行ったときは親子の客が多く、
子供に1985年の優勝を語っていたり
自分の思い出を語ってる人が多かった。
時系列になっているので
自分が知ってる時代になると見てていろいろ思い出してくる。
一緒に見てる人に語りだしたくなると思う。
2リーグ制以前のトロフィーとか
記録としてしか知らない時代のものも
選手が確かに戦っていた証しみたいなのが見れてとてもよかった。

2月13日

イベント「オノデラユキ写真展」

告知のポスターにあった「古着のポートレイト」を見て
開催前からすごく気になっていた写真展。
そのほかに私がいいなと思ったのは
「液体とコップ」、「液体とテレビと昆虫と」。
どれも匿名性を感じた。
作者の個性とか「どうしてもこれを写さなければ」みたいな
被写体への人並み以上の情熱といったものがそこにはなく思えた。
写されている古着は他の古着でも代替可能に思えたり。
ある対象の形のみを面白がれる人なのかなと思った。
とても現代的。
無印良品の世界が好きな人は気に入るのでは。
開催している国立国際美術館(大阪)は
常設展も面白いのが置いてあるのでそちらも要チェック。

2月12日

「対岸の彼女」(角田光代)

違う立場にあると思ってる人と共通点がある
というのは案外あること。
既婚、子持ちの主婦小夜子がパートに出て
未婚の女社長葵と出会う話。
この作家のほかの作品もそうだが、読後感が重い。
私たちが抱える嫌悪感とか救いのなさが、
そのままさらけ出されている。
凝ったレトリックを用いていないのが逆に重い。
家庭から一歩外に出たときに感じる小夜子が感じる孤独感、
仕事に対する情熱が空回りし、
冷ややかな周りとのズレで生じる葵の孤独感。
そんな孤独感とうまくやっていくために
私たちは自分の世界を持っている。
そしてそんな守りたい世界や、守るべき優先順位は
小夜子と葵では異なっている。
周りの人たちは自分の分身や親子や親友じゃない。
でもそれは当たり前なこと。
しかし、私たちは一人では生きていけないし、
ある目的のためにはしばしば団結することもできる。
そして私たちが助け合っていることに
お互いは気づいているし言葉に出していなくても感謝している。
世の中捨てたものじゃない。
その関係が永遠ではなくても、私たちはまたどこかで
別の誰かと共にしないと生きていけないんだから。
それは刹那的というより、一瞬一瞬を大切にするということ。
そして自分を大切にすること。
自分を大切にしていれば、
そんな自分に近づいてくる人がきっと出てくるはずだから。
帯文に「大人になれば、自分で何かを選べるの?」とあるが、
自分自身を知らない人は強く生きていけないよと言いたい。
そして大人になるということは、自分自身を知ること。
全体的に重い作品だけど、
この中にあるポジティヴさを感じて欲しい。



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