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8月30日

新書「なぜフェミニズムは没落したのか」(荷宮和子)

表題で「なぜ」と振っているのに
その答えが本著の中で見つけづらいので
ネタバレもどうかと思うが、
「なぜ」の答えをまとめてみる。
80年代、女性の動きは2つの側面で活発だった。
一つは上野千鶴子を筆頭とする
学者たちによる学問上の動き。
フェミニズムが学問として一定の地位を得たのは
上野たちの功績だろう。
もう一つは世の女性たちが
男性の目を気にすることなく活発に活動し、
それまでの男女雇用機会均等法制定前に比べ
女性の社会的な地位も上がり
「女のくせに」みたいな男だから・女だから
みたいな扱いが社会の中で薄れていたこと。
これは実社会の中の動き。
この実社会の中の動きを支えたのは、
コピーライターから直木賞作家まで上りつめ
男社会の中できちんと稼いだ林真理子だと
この著者は言っている。
この著書では前者を「フェミニズム」
後者を「フェミニズムのようなもの」と呼んでいる。
で、なぜフェミニズムは没落したのかをまとめてみる。
1.フェミニストたちが、林など
フェミニズムのようなものストたちや、
一般の女性たちに対する歩み寄りがなかった。
2.フェミニストは、女性はどうやって男社会の中で
やっていったらよいのかという実践的なことを
伝えることができなかった。
3.アグネス論争を通じて、
フェミニスト=「(すべての女がバカだと言うわけでは
ないけれど)あの女はバカだ」と言われても仕方ない
人物でさえ、「女だから」という理由に則って擁護する
困った人たち、というイメージが強く生まれてしまった。
4.フェミニストは、男社会を叩くのに必要な本質的な
部分を見極めたり、大局的に物事を考えたりする力に欠け、
男社会とやり合っていくために必要な、
男のねたみ、そねみ、ひがみに対応する力がなかった。
5.フェミニストの言動は、物の言い方がまずく、
一般の女性の支持を得づらく、
社会の中でも要領が悪かった。
本著で3に関することを書いていたときに
「そうだ」と強く共感した。
私は女性蔑視をするつもりはないけど、
なのにフェミニストに馴染めない理由がわかった気がした。
フェミニズムの没落にあいまって
フェミニズムのようなものも衰退していったと
本著では言っている。
フェミニズムの没落時、フェミニズムのようなものを
体現していた若い女性はまだまだ男社会の中では不安定で
フェミニズムのようなものを社会に
定着させることができなかった。
ではこのフェミニズムのようなものの担い手たちは
どうすべきだったのだろうか。
彼女たちより若い団塊の世代Jrたちの
刹那的な風潮が広がるのを
黙って指をくわえて見ているしかできなかったのだろうか。
これについても著者は第3章で反省している。
少し長い文だが引用してみる。
なぜこうなってしまったかを考えるに、
もしかしたら私たちの世代が、
「女のくせに男社会の中で働くことのしんどさ」を
言い過ぎてしまったせいではないか、
「女のくせに男社会の中で働くのはしんどい
ことだけれど、でも、専業主婦になるよりも
働くほうがずっと幸せ!」という本音を、
私たちがちゃんと言わなかった
少し長い文を引用してみた。
こうした部分はあると思う。
男は与えられたやるべきことをこなすだけで
社会的な地位を得られるし、
与えられたやるべきことを通して
その後の自分に必要なことを見通すことができるけど
女は与えられた仕事をこなしているだけでは
その後につながっていきづらい。
それはまだ男社会が女性にポジションを
与え切れてない段階にあり、
自分で自身のその後の青写真を描いていくのが重要。
努力すれば、自分がしたいことができる生活に近づく
そうした努力すれば手に入るものを
下の世代に想像させることができなかった。
男はそこまで努力しなくても手に入るものを
女はかなり努力しなければいけないとか、
努力の必要性を十分に伝えられなかった。
多くの女性にとって学問的なフェミニズムより
実社会に存在したフェミニズムのようなもののほうが
重要であり、それがなぜ衰退したかといえば
上に書いたように、80年代文化を担った新人類たちが
下の世代と一緒にがんばっていけなかった
部分もあるなあと、本著を読んで思った。
努力しなかった私たち団塊の世代Jrの問題を
肯定するわけではありません。念のため。

8月29日

映画「の・ようなもの」

森田芳光監督のメジャーデビュー作。
ちっとも上達しない二ツ目の落語家志ん魚(しんとと)が
トルコ嬢エリザベス(秋吉久美子)や
落研所属の女子高生などと出会う。
自分の腕に悩んだり、見栄を張ったり
兄弟子が真打ちに昇進したり
若者が馬鹿やってたり悩んだりしてる様子が
生き生きと描かれている。
志ん魚とエリザベスのやり取りでこんなシーンが。
この志ん魚がかっこいい。
「ジャンゴ・ラインハルトが流れるスペイン料理屋で
サングリア飲みたいと思いません?」
「いいわね、それも。そうする?」
「嘘ですよ。こういうこと一度言ってみたかったんです」
かっこつけることから吹っ切れた感じがかっこよく見えた。
この映画を見たら、きっと誰もが
それぞれの忘れられない出会いを思い出すことだろう。
エリザベスは雄琴に向かい、志ん魚は新作落語に挑戦する。
それぞれの道を歩き出した2人は
もうきっと再び出会うことはないだろう。
それでいいのだと思う。
むしろ会わないほうがいい。
私にも今は疎遠になってしまった人との
忘れられない出会いというのがある。
今でも付き合いが続いていたら
どういう付き合いをしていただろうと思うことはある。
しかし出会いの多くは永遠には続かないし
出会い、疎遠になり、相手のことをすっかり忘れ
そして時々思い出す。でもそれだけ。
それでいいんだと思う。
この映画、ラビット関根と小堺一機がオカマ役で出てるのも注目。

8月28日

映画「スウィングガールズ」

「ひみつの花園」で矢口監督を知った私としては
「あ〜、矢口監督もこんなお金かけた映画を
撮れるようになったんだ」と嬉しくなった。
もちろん今回も西田尚美は出演してる。
譜面読めないし楽器弾けないのに
スウィングガールズたちの顧問を務めることになって
そうした事実を隠そうとする、
竹中直人が演じるキャラとか
渡辺えり子がしゃべるさすがネイティヴな東北弁とか
こういう小ネタを楽しめるのが
「リンダリンダリンダ」との違いで
それはキャスティングだったり使えるお金の違いに感じた。
上野樹里や本仮屋ユイカ目当てに見て
期待は裏切らないと思う。
それぞれとても魅力的なキャラを演じきってる。
いろいろありながら最後はハッピーエンドで
今回もエンターテインメントに徹してる。

8月27日

映画「復讐者に憐れみを」

この映画が駄作かと言ったら決してそうではない。
とてもよくできている映画。
さすが「JSA」のパク。チャヌク監督。
しかし、人に薦めたい映画かと言うと私の感覚では違う。
見た印象は登場人物みんな頭悪過ぎ。
見ながら思ってた通りに人死に過ぎ。
見て楽しい映画ではないのだが心引かれるものがある映画。
人生はうまくいかないことが多くて
私たちは日々ストレスを感じながら生活している。
ストレスに誰かが関係していたら
その人に対して憤りを感じたり
八つ当たりしたくなる気分のときはある。
この映画のようにそうした憤りを相手にぶつけ
殺人を行ってしまう者に私たちが心引かれるのもまた事実。
どうにもならない直面で誘惑に負けたり判断を誤ることは
誰しもあることでそうした心の動きは理解できる人は多いと思う。
私たちはストレスを感じても殺人は思いとどまるから
「ばかだねー。なんでもっとうまくやれないのかね」と
他人事として見てられる。
これがもっと些細な出来事を描ていたら
自分のことをつかれてる気がして
「ばかだねー」とは見れなかったと思う。
ぺ・ドゥナのラブシーンはかなり大胆なんだけど、
この人は服を着ているほうがかわいいな。
これは「ジョゼ」の池脇千鶴を見ても感じたけど。

8月16日

イベント「やなぎみわ[無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語]展」

現代美術でよく描かれるテーマの一つに、
実際には見えないものを描くというのがある。
キュビリズムや抽象画がその代表例だろう。
この個展で私が感じたのは狂気だ。少女の狂気と老女の狂気。
「シンデレラ」など寓話を描いたシリーズがこの個展の中心をなしている。
お面や特殊メイクで老女に扮した少女が登場する。
寓話の世界が内包している狂気を
私たちは登場人物たちから感じ取ることができるだろう。
私たちは相反する感情を併せ持つことがある。
例えば無知ゆえに恐れるという感情と
無知ゆえに恐れずにいられるという感情。
正反対の2つの対峙は狂気を効果的に表している。
どちらかのみが正しいわけでなくどちらもリアルな感情。
そう、物事は正しさを尺度にできないことが多い。
ここで私が感じたこと以外にも様々な感じ方があり
どれかが正しいというわけではない。
多くの人がそれぞれにこの展覧会から何かを感じてほしい。
品川の原美術館で10月6日まで開催中。

8月13日

映画「リンダリンダリンダ」

友達と見に行って、見終わった後にカラオケに行ってしまった。
みんなで練習してバンドやるのってやはりいい。
たまに年下と接すると「若いなー」と その若さにもうついていけないし
大学時代の友達と会っても仕事の話になったり
いまの私はもうあの頃には完全には戻れない。
ただ学生の頃にみんなで何かをする楽しさを
忘れているわけではない。
あの頃の美しい思い出は、意味ないことに夢中になれるエネルギー。
「やって意味あんの?」「意味なんかないよ」
そんなやりとりが劇中あるのだが、
今は物事に夢中になるのにいろいろと計算してしまう。
香椎由宇の雰囲気とかこの映画には見どころがいくつかあるが、
ここでは湯川潮音が歌う「風来坊」を挙げてみたい。
あの揺らいだボーカルは独特で形容しがたい。
これが収録されてるサントラも結局買ってしまった。



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