International Center of Photography


「写真の美術館か。面白そうだな」とニューヨーク市立図書館で
ここの情報をチェック。サイトを見てやはり面白そうだったので
出発前には予定がなかったが、行くことに。
クーパー・ヒューイット美術館、The New-York Historical Society も
同じくアメリカに来てから訪問を決めた。

メインは北ベトナムから見た写真展と、
Bloody Sunday(血の日曜日)の報道写真展。
最初に北ベトナムから見た写真展の感想。
北ベトナム軍によって撃ち落とされた米軍機の写真など、
遺族感情を考えると、今まではなかなか展示しづらいようなものもあった。
ベトナム戦争は、徴兵があったり、
アメリカが本格的に関わった最後の戦争である。
そして米軍撤退からもうすぐ30年が経とうとしている。
日本は50年以上戦争を経験することがなく、
私の父親も戦争を知らない世代だが、
アメリカでも、戦争をブラウン管を通してしか知らない世代が
確実に増えてきている。
そしてそういった世代に対し、戦争を伝えていく必要があって、
このような展覧会は必要なものだと思った。
アメリカ人はもちろん、日本人にとっても、
太平洋戦争で日本人がベトナムで行ったことが
その後ベトナムであのような悲劇を生むきっかけになったわけで
けっして他人事ではないのだ。
戦争が始まれば、自国が関わっているほうが正義となる。
しかし、平和な時に相手国の立場で戦争を見れば、
自国が相手国に対して行ったことも受け入れやすく、
戦争に正義などないことが容易に判るのだ。

次にBloody Sunday の報道写真展の感想。
Bloody Sunday で亡くなった方々の遺品が展示してあって、
これは見ていてとても辛かった。
他にも感情的に訴えるものが多かった。
それは写真の特性でもある。
ビジュアルが持つメッセージ性の強さを感じた。
そしてまた、写真の中だけが事実ではないことも
意識しなくてはならないのだ。
「この写真の外側に兵士がいる」という説明が
この展覧会でもあった通り、
写真はある事象の一部を写し出しているに過ぎない。
つまり、ある事実のどこを写すかは、
恣意的に選択することができるのだ。
写真による脚色力を考えさせられた。
イギリスではBloody Sunday があった翌年の73年から毎年、
Bloody Sunday のポスターが作られている。
歴史を風化させないよう、このような悲劇が繰り返されることがないよう、
このようなことを行っているのはとてもすばらしいことだと思った。

最後にForeign Body という展覧会の感想。
これは、ケガや病気の人の写真展。
かなり古い写真も残されていて、古い写真は特に、
新しい写真もそうだが、見せ物的な色合いを強く感じた。



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