9月のセレクション
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9月30日

『イマジン』(ジョン・レノン)

71年9月に発売され、今年で丸30年経つのに、
今でも高い人気を誇っている。
再生ボタンを押すと、タイトル曲「イマジン」が流れる。
このイントロは、いつ聴いても心が落ち着く。
このくぐもった感じは、主旋律とキーの高さを1オクターブずらして、
同じメロディラインをなぞって出したと、聞いたことがある。
ベスト盤『レジェンド』でも1曲目はこれ。
湾岸戦争時には、BBCが放送禁止にした。
同時多発テロに対する報復の機運が高まる中、
オノ・ヨーコが一節を引用した広告をニューヨーク・タイムスに出した。
今でも、反戦ソングとして強いメッセージを持っている。
強いメッセージを持った歌が多いアルバムだ。
「嫉妬深い」と自分の弱さをストレートに歌う
ラブソング「ジェラス・ガイ」、
(この弱さをストレートに歌う姿勢がジョンの魅力だ)
ポールを皮肉って問題となった「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」、
歌詞に14個のhowが出てくる内省的な「ハウ」。
「兵隊にはなりたくない」、「真実が欲しい」は、
ジョンの社会に対する強いメッセージが伝わってくるし、
「オー・マイ・ラヴ」、「オー・ヨーコ」では、
愛する人に対してメッセージを伝えている。
どの歌も、シンプルな言葉を、
小編成のバンドのシンプルな音楽に乗せて歌っている。
相手を煽動するような強いメッセージではなく、
シンプルであるが故に強く伝わるメッセージだ。
「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」は少し狙っている感じの歌詞だが。
シンプルさで言えば、ラストの「オー・ヨーコ」は圧巻。
アコースティックな軽い曲調で"oh yoko"と歌う。
これだけたくさん、ジョンに名前を呼んでもらえるヨーコがうらやましい。

9月26日

小説「縁切り神社」(田口ランディ)

「何でこの人の小説は生々しくて、完全に好きになれないんだろう」
その疑問が解けた。
この人の小説は一人称が「私」、「あたし」で書かれていることが多い。
「ミッドナイト・コール」に収録されている8作品全て、
1人称が「私」か「あたし」だ。
「縁切り神社」でも、12作品のうち、3人称で書かれているのは、
「悲しい夢」だけだ。
話の視点が「私」の視点からほとんど動かないし、
「私」に感情移入して読んでしまうので、
生々しさを強く感じるのだと思う。
この中の作品で特によかったのは、
「世界中の男の子をお守りください」。
この人は、ネガティヴな女性を描くのが本当にうまい。
27歳の男の子に10歳もさばを読んでしまう、
この主人公のキャラクターが好き。
「ううう、十歳もさば読んでしまったっ」なんていう表現は、
1人称が私であるからこそ。
上の表現とかもそうだけど、1人称が「私」で
これだけハイテンションに話が進んでいく様子が、
Web日記に似ている。
(元々、Webで連載されていたと聞き、納得)
この新しい文体を従来から存在している小説というジャンルに
今後、どうやって調和させていくのだろう。楽しみ。

9月23日

『ベスト・オブ・P.P&M』(ピーター・ポール&マリー)

アコースティック・ギターの演奏と
女性1人と男性2人による調和のとれた歌声。
ハーモニーが美しく力があるので、素朴な感じとは少し違う。
S&Gのよりも広がりがあるし、陽気。
1曲目は「悲しみのジェット・プレーン」。
原題は"Leaving on a jet plane"
恋人と別れ、飛行機に乗るという別れの歌。
これは戦場に行く人の歌なのだろうか。
"I'm leavin' on a plane
Don't know when I'll be back again
Oh, babe, I hate to go."の辺りが特に。
「生きて帰れるかわからない
だから行きたくない」と取れなくもない。
恋人と離れてしまうのは悲しい。
だけど行かなければならないことってある。
そんなときに"I have to go"でも"I should go"でもなく
"I hate to go"と歌っている。
深読みすると、悲しくなってくる歌詞だ。
3曲目の「500マイルも離れて」も好きな曲。
このゆったりとした歌い方が好きだ。
年下の人に語りかけるような懐の深さが感じられる歌い方。

9月20日

マンガ「百年の恋も覚めてしまう」(くらもちふさこ)

全4作収録。集英社文庫より刊行。
やっぱりこの人の心理描写は巧い。
少女マンガをばかにしてる男性がもし今でもいるとしたら、
くらもちふさこを読んでほしい。
そもそもあるジャンルの全ての作品が、
とあるジャンルの作品群よりも劣っているなんてことはない。
これはマンガだけでなく、音楽や映画にも言えることだけど。
表題作での、笙子が宇佐見君と会うつもりがないことを
宇佐見君は気付いていたことに笙子は気付き
胸を痛めているシーンの描写は、読んでいてジーンとする。
エンディングもいい。笙子は結婚してハッピーエンドなんだけど、
結婚式で終わりみたいなエンディングではもちろんなく、
夫婦並んで台所で立っているシーンで終わる。
この静かな終わりかた、いいなぁ。
もう一つ、印象的なのは「糸のきらめき」。
どこで読んだかは忘れたが、この作品は以前読んだことがあった。
そのことをすぐに思い出させる、
一度読めば、読んだことを忘れない印象的な話だ。
主人公橘彩子が歌うシーンの描写はとても力強い。
ソウルフルな様子は、読んでいて身震いするくらいに伝わる。
目、口の大きさなどの顔の表情、姿勢などで、
これだけ音楽を表すことが出来るんだと、
この豊かな表現に引き込まれる。

9月18日

小説「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」(江國香織)

帯に「9人の女たち」とある通り、たくさんの人が登場する小説。
中でも、この小説の主役は陶子と草子だろうが、
個人的に好きなキャラクターは、慎一とその妻の綾。
決してかっこよくない慎一がまっすぐであるさまは好感が持てる。
綾は、専業主婦となり、だらしない夫のそばにいても、
自分の生活スタイルを保っているところがかっこよくて好き。
この小説のキーワードは結婚だと思う。
一緒にいようと思えばいれたのに離婚したエミ子。
魅力的な山岸と結婚したのに浮気をした道子。
デートを重ねるうちに藤岡と結婚した草子。
(何が、草子が結婚しようと、草子の背中を押したのか、
詳しく描かれていない。結婚に至らせた決定打が
無いように読みとることもできるだろう)
様々な人の生活の中で幸せと不幸が少しずつ織りなされている。

9月11日

イベント「デュフイ展」

水色がきれいな絵を描く作家。
ホックニーのような明るい色彩の絵が好きな人は好きかも。
キャンパスに油彩の絵が多く、ホックニーほど、絵がフラットじゃない。
印象派の影響を感じさせるし。
50'sの作品はブラック、ピカビアを思い起こさせるようなのもあった。
デュフィの年譜によると、彼は20世紀初め、
ブラックとも交流があったようだ。
あらあらしいけど、西洋的。アフリカンアートとはちがう。
アフリカンアートと比べると、色を使いすぎ。

9月5日

映画「千と千尋の神隠し」

千尋の家が乗っているアウディだとか、そんなことはどうでもいいこと。
(いい車乗ってるなぁ、と個人的に印象に残った)
公式サイトで宮崎 駿が
「冒険とはいっても、正邪の対決が主題ではなく」
と述べているように、二項対立でテクスト分析しづらい作品。
正邪の別がはっきりしている作品を好む西洋人は戸惑うかな?
湯婆婆も、100%悪い人ではないし。
小さい子供も、だいぶ見に行っているみたいだけど、
気持ち悪くないかなぁ。
千の両親がブタに変わってしまうシーンとか、
カオナシにカエルが食べられてしまうシーンとか、
迫力ある大画面で見ると、結構こわい。
ブタの描写がリアル。
エンドロールで「協力 屋久町養豚家の皆さん」と出るだけある。
あと、印象的だったのが音楽。
冒頭の芝生のシーンでの久石さんのソロ・ピアノはとてもきれい。
最初、柊瑠美ちゃんのアテレコに違和感があったが、すぐ消えた。
お化けの世界に入り込んでしまい、「これは、夢だ、夢だ」と
自分に言い聞かせるシーンとか良かった。

9月4日

イベント「奈良美智展」

会場に入った、第一印象はファンキー。
題材の選び方、切り口も個性的。
こういうものは、感じるものであり、私の感想は個人的なもの。
ほかの人は、私と違う感じ方を当然するはずである。
とにかく見に行って、自分なりに感じて欲しい。
凹凸のある綿キャンバスの質感、
合板に描かれているのと、
綿キャンバスに描かれているものの質感の違いなど、
実際に見ないとわからないものが多いので、
情報誌などで部分的に紹介されているのを見て
見た気になっている人も、是非見に行って欲しい。
個人的に楽しかったのは造形。
絵画のイメージが強かっただけに、 新鮮だった。
インスタレーション(空間芸術)も面白かった。
「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」とか、
絆が無い、冷たい感じがした。

9月3日

マンガ「のび太と雲の王国」(藤子・F・不二雄)

9月3日がドラえもんの誕生日であることにちなんだセレクション。
大長編ドラえもんの第12作目。
この映画は1992年に劇場公開されている。
この話で印象的なのは、ノア計画を掲げる天上人。
雲の中に隠れながら生活している天上人がいる。
地上人(つまり、のび太たち)が環境破壊を行っているので、
天上世界が住みにくくなっている。
そのため、汚れた地球を浄化するため、
史上空前の大豪雨を降らせて、
洪水によって、地上の建造物などを全て洗い流す。
このノア計画に、当然地上人の代表として、スネ夫が抗議する。
それに対する天上人の答えはこうだ。
「しかし、きみたちの先祖は何千年もの石器時代、
そんなものなしでくらしていたんだよ」。
「そんなもの」とは、鉄道、車、ビルといった、
ノア計画によって流されてしまうものたちのことである。
この天上人の発言を聞いて、
私は「公共の福祉」という言葉を思い浮かべた。
ノア計画も、「公共」の範囲を天上世界に限れば、
公共の福祉のための政策と言えるのだと思う。
自分たちを支持する人々に利益を還元するという面が、政策にはある。
自国にプラスになるかどうかを基準に
国際政治の場でもふるまっているアメリカなどは
その典型だと思う。
「公共」のためにある政治がとてもエゴに満ちたものだと、
天上人の発言を聞いて、私は感じた。
ドラえもんが、天上世界と地上世界の両方を救うため
体を張った行動に出るのととても対照的だと思った。
いつも(本編)のドラえもんは、ドラ焼きで買収されたり、
ふるまいが子供と変わらない。
そんなドラえもんが、天上世界で政策を担っている
大人たちよりも、よほど公共的なのである。
大人は社会のために行動できて、子供はわがままだ
という大人たちが無意識のうちに持っている認識を
このマンガはゆさぶるのである。
この作品には、35巻で登場した「ドンジャラ村のホイくん」とか、
33巻で登場した「キー坊」など、懐かしいキャラクターが登場し、
環境問題について語っている。
環境問題を扱ったドラえもんの話が好きな人にはうれしいゲストだ。



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