11月30日

『シェリーに口づけ〜ベスト・オブ・ミッシェル・ポルナレフ』(ミッシェル・ポルナレフ)

このCDに「シェリーに口づけ」(1曲目)が入っていなかったら
このCDを買わなかったに違いないが、
「愛の休日」(19曲目)が入っていなくても、
やはり、このCDを買わなかったに違いない。
実は、このCDを買うまで、彼の歌の曲名をこの2つしか知らなかったのだが、
「愛の休日」のようなしっとりとした曲が他にも収録されていて、
ミッシェルのしっとりとした曲を聴きたかった私は、このCDに満足している。
なかでも気に入ったのは、3曲目の「愛の願い」。
イントロのピアノは、流れるようなきれいな音を奏でるのだが、
クラシックのようにさらっとしていなくて、聴き手を感傷的にさせる。
ジャズやブルースを連想させるエモーショナルなピアノである。
ミッシェルの声も、嫌いな人にはくどいかもしれないが、
心を掴んで離さない、情熱的な歌声である。
ミッシェルが「Love me, please love me」と歌うと、
確かに「please」と頼んでいるのだが、
言われた方はミッシェルの力強い情熱を前にして、
ただうなづくことしか出来なくなってしまうはずだ。
頼んでいながら、実質的な力関係はミッシェルの方が上になってしまうくらい、
ミッシェルの歌い方は情熱的だ。
4曲目の「君との愛がすべて」での、
男が年下の女の子に語りかけるような歌い方は、
もし、これが詐欺の手口だとしてもだまされてもいい、というくらい優しい。
11曲目の「ロミオとジュリエットのように」は、
声量を活かした出だしでまずグッときてしまう。
極めつけは、ファルセットを利かせた「Juliette」の部分。
力強い歌声なのだが、怒鳴っているのとは対称的な優しさがある。
16曲目の「愛のコレクション」、17曲目の「愛の物語」は、
主婦向けのドラマに出てきそうなくらいに感傷的なメロディーで、
少し鼻につかなくもないが、
一人で内省的な気分になりたいときは、最良のBGMとなるだろう。
「シェリーに口づけ」のような軽いタッチの佳曲は、
10曲目の「ギリシャにいるジョルジナへ」。
アコースティックギターが軽快に響く。
ギリシャ民謡をモチーフにしたというだけあって、
ここでのミッシェルの優しさはとても素朴だ。
「シェリーに口づけ」のぶっとんだイメージしかない人に
このアルバムを聴いて欲しい。
きっと、ミッシェルの他の魅力をこのアルバムから感じることが出来るはず。

11月26日

『カミング・スーン』(大貫妙子)

動物などが描かれたメルヘンチックなジャケットといい、
子供受けするような童謡のような作品が並ぶ。
NHK「みんなのうた」の挿入歌、「メトロポリタン美術館」も収録されている。
メロディの流れに無理がなく、聴いていて心が落ち着く。
子供受けするようなと書いたが、
そこには、大人が子供の上に立つようなイヤミさがない。
ビートルズの「イエロー・サブマリン」と同じである。
シンセを使った近未来的な編曲になっているのだが、
この夢がある近未来の描き方がとても懐かしい。
今では未来と言うと、不安なイメージが先行してしまい、
このような明るい描き方をされることが少なくなった。
子供受けするようなイメージと異なる曲も収録されている。
5曲目の「MONO」は、ヴァイオリンやピアノの音が寂しく響く、グッと大人っぽい曲。
月夜のような澄んだ暗さと冷たさがある。
7曲目の「チェッカーくん」は、歌詞にフランス語を使ったカッコよさと
メロディーやアレンジのかわいさがうまく同居している。
10曲目の「Comin' Soon」はスタンダード曲のようなしっとりとした曲。
アルバムを最後にぴったりな曲。

11月18日

イベント「ジャンポール・ゴルチエの世界」

彼のオートクチュールを飾る、いわゆる美術館の個展っぽいことと、
美術館を訪れ、その場でビニールのウイッグやメガネなどを見に付け変身し、
訪問者もゴルチエの世界に参加するようなイベントとを 並立出来てないような気がした。
個人的には、彼の衣装を見るより、変装して写真を撮るのが楽しかった。
実際にモデルが身につけて展示していたらもっと面白かったと思う。
モデルは大変だが…。
こういった、参加するアートがもっと増えていってもいいと思う。
変装のイベントだけ取り出して、こどもの城あたりでやったら面白いと思う。
美術展でなくなってしまうので、入場料を高く取れなくなり、
営業上、問題があるかもしれないが。

11月16日

『Portrait in Jazz』(BILL EVANS TRIO)

ビル・エヴァンスは日本でとても人気がある。
それは、日本のジャズ・ミュージシャンっぽい演奏をするからだろう。
ビル・エヴァンスの演奏の影響を日本人が影響を受けている、逆だ。
もちろん、こう言うことも出来るだろう。
何が言いたいかと言えば、
私たちの周りには、ビル・エヴァンスのような演奏が溢れていて、
ビル・エヴァンスを聴いたときに、自然と耳馴染んでしまう。
よく白っぽいという表現を、ジャズの中で使う。
ビル・エヴァンスはその白っぽいジャズの代表格なのだが、
ビル・エヴァンスも黒っぽさを持ち合わせているのが、
このアルバムを聴くとよくわかる。
白っぽさとは、クラシックの小作品のような品の良さを言うが、
このアルバムは、蛍光灯を多用したチェーン店の喫茶店より、
薄暗い喫茶店によく似合う。
ベースやドラムもしっとりとした雰囲気を作っていて、
この少し静かな雰囲気が、聴き手を黙らせる。
少しくらい部屋で黙って本を読みながら、聴くのにピッタリなアルバム。
そこには神がかった雰囲気もないし、
何かをしながら聴くのに邪魔にならない軽さがある。
神経を逆なでさせるような前衛的な演奏もない。
ジョン・コルトレーンのようなフリー・ジャズが好きな人には、
演奏を存分に味わうという意味では、物足りないかもしれない。
しかし、忙しい現代では、他に何もせず、
ただ音楽を聴く時間を割くのが大変である。
生活の中にこれほどピッタリ合うジャズはそうない。
その意味でも、これは名盤である。

11月15日

マンガ「ゆらゆら」(南Q太)

このマンガで一番好きなシーンは、
p180の4コマ目(「丘をこえて」)で、
高史が「おまえと酒飲んでると楽しいよ」と笑顔で言うシーンである。
この一コマで、このマンガをハッピーエンドにしてしまう。
p182の一コマ目で、ダメ押しする。
「そういうのはね 宝物だね」。
そういうのとは、高史を夢の中でこのようないい形で思い出すことである。
こういうのがあると、たとえ振られても、
恋愛に対して殻をかぶることなく、次への恋愛につながる気がする。
このマンガには、「猫」、「ゆらゆら」、「丘をこえて」の3つのマンガが収録されている。
「猫」の一コマ目(つまり、このマンガの目次の次のページの一コマ目)もいい。
「小学校のころ なぜかクラス中の子に 無視されたことが あった」。
この「なぜか」に強く惹き込まれる。共感できるのである。
こういういじめって、理不尽であり、突然訪れる。
当事者にとっては、「なぜか」起こってしまうものなのだ。
3作品の中で一番好きなのは、「丘をこえて」。
失恋しちゃう話だけど、ポジティヴに終わるのがいい。
他の作品について。
「猫」は、友達の彼氏とHしちゃう話。
恋愛とセックスって違うよなあと再確認させられる話。
「ゆらゆら」は、ちっとも満たされた恋愛をしていない人たちの話。
主人公の浜子、バイト先の花屋の店長、佐古君、誰も満たされた恋愛をしていない。
なんか、読んでて悲しい気持ちになるのだが、
実際、燃えるような恋愛って、そうそう起こるもんじゃない。
とても話が自然だと思う。

11月13日

『勝手にするとも!』(ザ・ボロック・ブラザーズ)

原題は、「NEVER MIND THE BOLLOCKS 1983」。
セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ!!』をエレ・ポップにアレンジした作品。
アレンジがテクノ調になっていて楽しいのだが、
メロディーが、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースや、
ホール&オーツのようにポップではないから、
70'sのメロディーに、80'sのアレンジを合わせたアンバランスさが、
テクノ歌謡のような洗練されていないチープさを感じる。
パロディーとして楽しむには、とても楽しいアルバムだ。
ピストルズ好きの恋人にプレゼントしたら、ウケるにちがいない。
ギャグとして面白いのが、4曲目の「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」。
歌が棒読みなのである。
声にエフェクトが掛かっているが弱く、生声に近い。
全然機械的でない。
ピストルズとクラフトワークの中間を狙ったら、見事にコケたという感じである。
このアルバムの中で、作品として一番出来がいいと、私が思うのは、
9曲目の「アナーキー・イン・ザ・U.K.」。
ピコピコとした単調な音に数種類の音を合わせて、
テクノ・ポップ特有の音の面白さを生かしたバックは、
あくまで、ヴォーカルのシャウトを殺さない程度にやっている。

11月7日

小説「ダンス・ダンス・ダンス」(村上春樹)

この作品は、村上春樹がこの作品を書く前に書いた3作、
「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」と話が続いているのだが、
私は、この3作を読んでいない。
この3作を読んでいると、この「ダンス・ダンス・ダンス」をもっと深く楽しめるのだろうが、
何となく、この作品の80年代の設定に惹かれてこれから読み始めた。
前の3作も、「ダンス・ダンス・ダンス」を買った時に一緒に買ったのだが。
この本のヒットは、リアルタイムで知っていて、何となく、親しみがあったというのもある。
全体的な感想。
文章がバブリーなところが、今読むと、読んでいて苦笑してしまう。
「トレンディー」という単語が形容詞で使われているあたりも、時代を感じてしまう。
「ノルウェイの森」とも共通した喪失感がこの作品にもある。
途中から話がサスペンス調になって、
これが、話の起伏を持たせていて、読んでいて楽しかった。
何一つ現実性を帯びていない中、現実性を帯びた存在、ユミヨシさんがとても美しく描かれている。
思わず姿を想像していまうくらい、魅力的である。
特に第44話以降のユミヨシさんは甘美だ。
人間臭い登場人物も重要だ。この小説は言い知れぬ喪失感と、登場人物の魅力で読ませている。
二人の警官、牧村拓。彼らはとても人間臭くていい。非現実的な羊男とは対照的だ。
ユキのような人間は、私達の周りにいないのだが、
ユキが持つような鋭さは様々な形で多くの人達の中に内包されているのではないだろうか。
この作品の不満を言えば、終わり方が尻切れトンボ。余韻を残しているのとは違って、
終わらないところで作品が終わっている感じを受ける。
「ノルウェイの森」では、「人が死にすぎ」と思ったが、そう思わなかったところを見ると、
喪失感は、「ノルウェイの森」よりうまく描けているのだと思う。
私が村上春樹の作風に馴れてしまったというのもあるかもしれないが。

11月4日

『ボディ・アンド・ソウル』(ジョー・ジャクソン)

1曲目の「ザ・ヴァーディクト」から引き込まれる。
品のいいピアノと温かい歌声。ジョー・ジャクソンの魅力がよく出ている。
3曲目の「ノット・ヒア・ノット・ナウ」は、しっとりとしたバラード。
前の曲「チャ・チャ・ロコ」がサルサのリズムのノリのいい曲だったのとは対照的。
4曲目「ホワット・ユー・ウォント」は、フュ―ジョンの趣を持ったロック。
この当時は、スティーリー・ダンとか、こういった音楽が流行っていた。
リズムとか、私に向かって呼びかけてくるようなホーンの感じとか、
私はこの曲の感じがかなり好き。
7曲目「ハッピー・エンディング」での
ジョー・ジャクソンと、イレイン・キャズウェエルのデュエットはとてもソウルフル。
ピアノの小洒落た感じ、サックスの音色は、
ソウルのデュエット曲のような雰囲気の良さを作り出している。
声の感じがメロウではないが、調和は取れている。

11月2日

マンガ「blue」(魚喃キリコ)

心理描写がとても巧い。
これを読んでいると、登場人物と同じように、私の感情も揺れる。
彼女のマンガには、余計なセリフや説明などは要らない。
一気に読んでしまう、流れのある描写で読者を引き込んでしまう。
p68、p69には、活字が一つもない。
一つも要らないのである。
p154〜p160の描写もすごくいい。
読んでいるこっちまで悲しくなってしまう。
コマの流れがとてもテンポがある。
コマに描かれる余白が「間」を作っており、
コマの流れと、読者が読み進む流れが、一致する。
読者は、映画を観るように、リアルタイムで作品を追うことが出来る。
このマンガに出てくる、セリフの一つ一つが自然である。演劇的でない。
「そっか―・・・」とか、「いいなー」とか、「まいいや」といった
何気ないセリフを効果的に、テンポ良く使うのが巧い。
セリフなどが無くても、微妙なタッチの差で、
目を細めて微笑んでいる表情と、目を伏せた悲しい表情とを
巧く描き分ける。
p67の遠藤の表情の変化はすばらしい。
読者が入り込んでしまうような空間を巧く紙面に作っている。
p198の一コマ目の、遠藤と別れたくない桐島の表情もいい。
別れたくないという気持ちがとても巧く表現されている。
魚喃キリコは、エピソードを作るのも巧い。
遠藤と、男が初めて出会った時のエピソードは、
遠藤と、男の性格を巧く描いている。
表情の描写がとても巧いマンガである。
思わず息を飲み込んでしまう。
魚喃キリコのマンガを映画化する話があるらしい。
(どの作品かは知らない)
これをドラマ化したら、これだけの演技を役者が出来るかと、
思わず心配してしまいたくなるくらい、描かれている表情が豊かである。



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