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12月27日

映画「新しき土」(ドイツ版)

原節子の出世作。
当時、原節子16歳。
セーラー服姿の原節子も出てくる。
(若い頃の原節子を見て、「小嶺麗奈に似てるな」と思った)
戦中に作られただけあって、
内容に軍国主義的なものを色濃く反映しているのが、
今見ていると気になるが、
日本人の心情というのをきれいに描写している。
最近の日本映画は、ハリウッドの真似ばかりで、
日本人の心情を巧く描写している映画が少ない。
ここに出てくる日本人は、もちろん古い日本人像だが、
巧い描写は、そういったことを考えさせずに、
受け手の中に自然と入っていく。

12月25日

「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」(バンド・エイド)

信仰心の無い日本人にとって、
クリスマスを「ケーキ屋の稼ぎ時」のようにビジネスで考えたり、
バカ騒ぎするための口実のように使ったりするが、
キリスト教国では、祈る日である。
クリスマスに戦争が休戦になるくらい、
彼らにとってクリスマスとは、重要な日である。
今でも地球上には飢餓は存在する。
国連広報センターの12月21日付の「毎日の動き」には
次のようなことが書かれている。

FAO(国際連合食糧農業機関)は、
報告書「アフリカのサブ・サハラ地域における食糧供給状況と穀物の見通し」を発表。
同報告によれば、アフリカのサブ・サハラ地域において、
干ばつおよび内戦の長期化により、約2800万人が深刻な食糧不足に直面している。
最も深刻なのはアフリカ東部であり、その地域の2000万の人々が、
2001年に入ってからも食糧援助の継続が必要である、と報告は指摘した。

そういったことを念頭においてこの曲を聴くと、
この曲を「過去の曲」扱う訳にはいかないのだ。
この曲はエチオピアの飢餓のチャリティーの歌だが、
こういったチャリティーへの意識が最近忘れられている気がしてならない。
さて、音楽的な内容について書く。
50人が参加すると、やはり、全員がそれぞれ短いパートを担当し、
大勢でサビを歌うというやり方になる。
どうしても、バラバラな印象がつきまとう。
歌手が変わる度に、歌が途切れるような印象がどうしても出てくる。
「バラバラ」も、「声の寄せ書き」と考えれば、さほど気にならない。
このシングルに同時収録されている「フィード・ザ・ワールド」は、
「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」の音楽に
ポール・マッカートニー、ポール・ウェラー、デヴィッド・ボウイなど、
20人のアーティストが、メッセージを寄せている。
アーティストのコメントが次から次へと出てくる。
コメントを繋いでいるのだが、流れが途切れるような印象はあまリ無い。
いつか飢餓が無くなることを祈って、私はコメントを聴くのである。

12月21日

『ザ・リアル・ソウル〜メロウ&スムース』(オムニバスCD)

冬になるとR&Bが聴きたくなる。
奥行きのあるヴォーカルがスピーカーの前の空気を
柔らかく、暖かくしてくれる。
プレイヤーの「プレイ」ボタンを押すと流れてくるのは、
ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」。
R&Bというジャンルを意識する前から慣れ親しんでいる曲だ。
「stand by me」と求めるように歌うベンの歌声を聴くと、
自分は一人じゃないということを感じる。
このアルバムにはたくさんの有名曲が収録されているのだが、
その中から特に私が好きな曲を3曲紹介したいと思う。
14曲目のパーシー・スレッジの「男が女を愛する時」。
まず、キーボードによるイントロからいい。
プロコル・ハルムの「青い影」もそうだが、
教会のオルガンのような、思わず黙ってしまうような癒しのフレーズだ。
少し憂いのある彼のヴォーカルもいいし、
曲の終わりにヴォーカルにかぶせられた
トランペットの高音が情感たっぷり。
16曲目のダニー・ハザウェイの「君の友だち」。
音楽でもなんでも、「最初に耳馴染んだものがいい」と感じることが多いのだが、
(ダンス系のアルバムとかで、シングル買った人も楽しめるように
リミックスしたりするけど、大概は「改悪」されている気がしてならない)
ダニーのヴォーカルのこれも好き。
音を伸ばして歌う感じが本当にメロウで、
心のとげとげしたものを取り去ってくれる。
カーメン・マクレエやアレサ・フランクリンのも好き。
他の歌手のものを聴いてもこれほどいいということは、
やっぱり、曲がいいのかなぁ。
このアルバムのラスト、19曲目のアトランティック・スターの「オールウェイズ」。
男女のデュエットって、決まると本当にいい。
2つのヴォーカルの掛け合いが本当に幸せそうで、
(今でも結婚式で歌われるのは、この幸せな感じが支持されているのだと思う)
歌う二人に嫉妬したくなるくらいだ。

12月18日

『パリ・コンサート』(キース・ジャレット)

1曲目の「1988年10月17日」。 聴いていると童心に帰るようなピュアな演奏。
小さい頃からずっと変わらないような、感情の核になる部分を刺激する。
「あなたの悲しみを私は理解できる」と語るような演奏。
寂しさなど、ネガティヴな感情を弾き手と聴き手が共感しあっている。
ピアノの鍵盤を叩き、ピアノの一音一音を聴かせるような演奏と、
たくさんの音が流れるように耳へと流れ込む演奏とが、
継ぎ目なく続いている。
1曲目の32分ころのキースの叫びがかっこいい。
3曲目の「ブルース」もファンキーでかっこいい。

12月16日

マンガ「ぼくの地球を守って」(日渡早紀)

全21巻。これぐらいの長い長編のマンガにありがちなのだが、
話がまとまっていないのが残念。
話が途中でやけに膨らんだり、話が跳んだりしている。
いきなり輪くんが転落事故に遭い、引き込まれていったのだが、
ほのぼのとした雰囲気の出だしと、
ムーン・ドリームの話の登場が突飛で、
ムーン・ドリームの話に馴れるのに時間がかかった。
個人的には20巻以降のラストが良い。
髪の毛振り乱す紫苑に引き込まれた。
紫苑の7年間の苦しみ、夢の世界の紫苑と
現世の人格との葛藤が、うまく描かれている。
ポジティヴなラストの展開、そのラストのきれいな描写もいい。

12月8日

『イマジン』(オリジナル・サウンドトラック)

映画を見ていなくても、
ビートルズ、ソロのジョンの作品の編集盤として楽しめる。
21曲73分46秒収録されていながら、
「ラヴ」が入っていないとか、
この時期だとやっぱり「ハッピー・クリスマス」が聴きたいなあとか、
物足りなさを感じてしまうのはさすが。
もちろん、ここに収録されている曲の中に捨て曲はない。
ジョンの内省的な曲が多く収録されている。
「マザー」、「ジェラス・ガイ」、「ウーマン」など。
「パワー・トゥ・ザ・ピープル」や、「真夜中を突っ走れ」は収録されていない。
私がこのアルバムの中で(というよりもジョンの作品の中で)、
一番好きなのは「ドント・レット・ミー・ダウン」だ。
ジョンのシャウトが胸にずしりと響く。
バックの演奏もジョンのシャウトを引き立てている。
私の耳に残るのは、バックの演奏と一体となった
ジョンのシャウトから聞こえて来るジョンの魂の叫び。
自分のことをがっかりさせた恋愛から解放されようと必死に叫び、
また、未来を向いた詞に強い決意を感じる。
ジョンのことを「弱さを見せる強さを持った人」と形容した人がいたが、
その形容も分かる気がする。

12月5日

『うららか』(つじあやの)

つじあやのってロック歌手だと思う。
2曲目の「悲しみの風」を聴いてそう思った。
きちんと声に力強さがあって太い。
「たんぽぽ」のようにのんびりした感じ、
「おいたままラヴレター」のようにポップな感じだけでなく、
力強い感じにも歌えるんだと新発見。
インディーズ盤だけあって、
演奏も、つじあやの1人に頼るアレンジが多い。
こうしたシンプルなバックだと、
やはり力強く歌わないとまとまらない。
資料的価値以外あまり期待せずに買ったのだが、
(6曲中3曲が『君への気持ち』、
『春は遠き夢の果てに』に収録されている)
インディーズ盤の手作り感を出すためだろう、
つじあやのの個人的な会話が曲間に収録されているのが
つじあやのの個性をよく写し出していてファンにはうれしい。
(大して好きでもないミュージシャンにこれをやられると、
きちんと歌を収録しろよ、と思うけど)
資料的価値を言えば、
3曲目の「酔いしれて」と4曲目の「たましい」の曲間に
「くもり空」(『春は遠き夢の果てに』に収録) の弾き語りを
「ちょっとだけな。最近出来たやつな。1番だけな」と始める。
『うららか』からつじあやのを聴いていた人は、
「くもり空」を聴いたとき、「あっ、あの曲だ!」とびっくりしたことだろう。
『うららか』の魅力は歌の力強さだ。
「春は遠き夢の果てに」を、『うららか』のものと、
『春は遠き夢の果てに』のものとを聴き比べてみると
『うららか』での歌の力強さがわかると思う。
フォークソングのような力強さをつじあやのに求める人は
気に入るのではないだろうか。

12月3日

テレビ「昭和四十六年、大久保清の犯罪」

ビートたけしがドラマに出ると
いつもこの作品の名前が出るので、前から興味があった。
ビートたけしの演技はとても人間臭く、
とてもリアルで、引き込まれた。
首を絞めるシーンなどは生々しく、思わず目を背けてしまう。
このドラマを見て思ったのは、
人間は簡単に死んでしまうということと、
最近キレる子供が問題になっているが、
昔から、孤独だったり、精神的に病んでいる人はいたということだ。
私に人を8人も殺害するエネルギーは無い。
殺害する以外に手段が無いくらいに追い込まれた状況は、
とても狂気に満ちている。
本名が知れたとか、自分の嘘がバレたとか、
殺す理由があまりに短絡的過ぎるが、そこには理由がある。
「人を殺してみたかった」というような
全く理解できない理由で人が殺されてしまう現在は、
このころより病的なのかもしれない。



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